ものまね芸人が各組に1人の“じゅじゅ苑”カップ!? 仕掛け人はゴルフ界の革命児

“じゅじゅ苑カップ”に出演したモノマネ芸人の面々
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ぺよん潤が「冬のソナタ」の名シーンを再現すれば、アントキの猪木が雄たけびを上げる。ものまね好きにはたまらないゴルフコンペが9月3日、レイクウッドGC(神奈川)で開催された。
コンペには8人のものまね芸人と20人のアマチュアが参加。各組に1〜2人のものまね芸人が入り、3人のアマチュアと18ホールをプレーする形式だ。
題して「じゅじゅ苑カップ」。よく似た名前のプロアマ大会があるが、このチャリティゴルフコンペ、決して‶ものまね″ではない。優勝者には平塚(神奈川)に店舗がある「じゅじゅえん」の和牛カルビ10人前(目録)が贈られた。
コンペの仕掛け人は、長野豪洋(たかひろ)氏。開催の動機は、意外なところにあった。「最近はコンペ後の表彰式に参加しない方が増えましたよね。交通渋滞の前に帰りたいという人が増えて、パーティを欠席し、賞品を後日贈ってもらう方が増えた。でもせっかくコンペで集まった人たちが、パーティの場で交流できないのは何とももったいないと思って。パーティがもっと楽しいものであれば、アマチュアの皆様も残ってくれるのでは、と考えました」
ではそのパーティを盛り上げるためにはどうしたらいいのか。そこで思いついたのが、ものまね芸人を呼んでのチャリティコンペだった。
「東日本大震災の時も、コロッケさんや今回ご参加いただいた葉月パルさんたちがいち早く立ち上がり、現地に笑いを届けていました。どんな時でも、必要なのは笑い。そのパワーをコンペにも生かせないかと」
試みは大成功だった。日頃からコンペを主催している長野さんだが、今回は参加者の反響がまったく違ったという。
「通常でも『お疲れさまでした』という程度のメールは来るのですが、今回はいつもの3倍以上。『楽しかった! 次はいつやるの?』とか『次も参加します』というメールがドッと来ました」
フェイスブックやインスタグラムなどSNSでの拡散もすごかった。「ものまね芸人さんはインスタ映えするんです」。この勢いに乗って「じゅじゅ苑カップ」の予選会も開催するという。
長野氏は1979年3月31日、オーストラリアで生まれた。豪洋の由来は「豪州の豪に太平洋の洋。たかひろとは読めず、先生からは『ごめんね、読めない』といつも最初に謝られてました」(長野氏)。父は赤井電機の海外駐在員で、生後1年半をシドニーで過ごし帰国した。
横浜・戸部での少年時代。両親は幼稚園の時に離婚して、「おじいちゃんとおばあちゃんがいる」母方の実家に引き取られた。「でも父も野毛に住んでいたので、たまに遊びに行っていました」と、父との関係も続いていた。
小2の頃、長野少年の心をワシづかみにしたのは人気アニメ「プロゴルファー猿」だった。「家業が材木を扱っている友人がいて、材木がゼロ円という環境。木をくり抜いて、丸く削って、猿が造ったようなウッドクラブを作っていました」。
手作りのクラブと、穴の空いたプラスチック製のゴルフボール。それが長野少年たちの遊び道具だった。リトルリーグにも属し、野球にも没頭した。横浜と日ノ出町に挟まれた戸部の町に育ち、近くのみなとみらい開発地区には「汽車があったり、電車の入ってこない線路があって」遊び場には事欠かなかった。
「友達を集めて、何かイベントをするのが好きだった」長野少年は、小4の頃、材木商のトラックの上で「星を見る会」を開催する。子供は13人集まり、夜のイベントもため保護者も来て、総勢20人のイベントに膨れ上がった。「自分が企画して、みんなが楽しんでくれるその姿を見て喜んでいました」。
軟式テニスに打ち込んでいた中学2年のある日、父方のおじから連絡が入る。「がんで入院中」との報せだった。見舞いに行ってから、3か月で父は天へと召された。初めて死を身近に感じた。「疎遠だったので、冷めてたのかもしれませんが……人って死ぬんだ、と思いましたね」。
横浜高校に進むと、軽音楽部に入る。バンドではボーカルとギターを担当。もっぱらビートルズをコピーした。一方で、アルバイトにも精を出した。
アルバイト先の「ダイエー」の野毛店では売場を任され、夜遅くまでバイトすることさえあった。職場の上司が店長に推薦してくれ、店長も長野の仕事ぶりをすでに認めていた。きわめてスムーズに、藤沢のダイエー社に就職した。
就職が決まると、さっそく社内コンペに誘われた。練習なしのぶっつけ本番。貸切の大型バスに40人が乗り、朝霧ジャンボリーまで出かけた。
クラブ選択すらできない状態で、コースデビューのスコアは196。その後は仕事が終わると夜の12時から近所の練習場「ナセグリーン」で練習。週2回は通った。
しかし2度目のコンペは170程度。3度目も140と、更新はされているが友人よりも成長ペースが遅いのに気付いた。「コンペでも職場の延長で叱られる。『こうしなきゃいけない』という圧を感じながらプレーする辛さを感じるうちに「コンペに行かなくなりました」。
ダイエーを8年でやめ、国の補助を使って学校に通い、ホームページ作成技術を習得。「HPはゼロ円から作れますので、作ったものを売って収入を得ました」。
29歳で結婚。妻の父親はクラブ職人だったが、自分のクラブは22歳の時からの「塩漬け状態」が継続し、10年が経過する。32歳になった頃、中学時代の仲間からゴルフに誘われた。ほこりをかぶったクラブを引っ張り出してのラウンドは、10年前のそれとは別物だった。
「小田原GC松田Cでしたが、スコアなんかいいや、という感じで、10年前のゴルフより10倍くらい楽しかった」。練習も再開した。同年代とのゴルフはライバル心も芽生え、それが練習のモチベーションにもなった。
「また行こう」と約束し、声を掛けるようになってみると、ほぼ断られる。32歳といえば働き盛り。誰もが忙しく、予定を合わせることが難しかった。
それではインターネットのサイトでゴルフサークルを作ろう。神奈川県の地域限定、年齢(上下5歳)の条件で登録する「ゆるゆるゴルフ」を立ち上げた。
本名と顔も出ていて、住所も出ているため安心してイベントに参加できる。コンペも月3回開催し、会員も5年で750人までに達した。
ゴルファー同士が繋がるパワーは強かった。8組が結婚しており、婚活にも一役買った。自らお目当ての女性と、同組にしてほしいと申し出てくる猛者もいて、見事ゴールインした例もある。
「ビジネスの面でも、組織と組織が結びつき、新たな事業を立ち上げたケースもあった。異業種交流会としての力を持ち、ゴルフが「アイスブレーク」の役割を演じていることを証明している。
現在、長野氏が取り組んでいるのが「ゴルフ免許証」。ゴルファーの8割が「誘われ待ち」という現実に着目し、相性がいいゴルフ友達が見つけられるアプリだという。
もう一つ、年内の実現を目指しているのが「Gリーグ」。初級、中級、上級と自分のレベルを決めコンペにエントリーする。全員が同じフィールドでプレーするが、実力レベルや年齢別にその日の順位を算出する。
「9の倍数の日に、何かをイベントをやっていきます」。次から次へとアイディアを具現化し続ける長野氏。次世代のゴルフ界を担う存在となってくれそうだ。(日本ゴルフジャーナリスト協会会長代行・小川朗)

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