開幕戦でいきなり2位になった 「エイミー・コガ」ってどんなプロなの?

開幕戦のダイキンオーキッドレディスで2位タイに入ったエイミー・コガ。昨年のプロテストでトップ合格し、QTランキング20位での参戦だが、いきなりこれで第1回リランキングが行われる6月末以降9月までの出場権も確実にした。ただ昨年はツアーで24試合に出場したもののそれほど上位で戦えなかっただけに、本人の人となりは、といえば、まだ知られていない。そんなエイミーをパーゴルフは昨年取材していたので、その記事から彼女の人物像を紹介しよう。まずは、約6年前にコガを襲った事故から始まる。

アクシデントは2012年の 10月 31 日水曜日、ハロウィンの日に 起こった。場所はハワイ島のワイコロアGC。日本とハワイから男子10人、女子6人が参加するジュニアゴルフ対抗戦を翌日に控え、練習ラウンドが行われていた。14 ホール目のパー5、第2打地点。左ラフから男子のチームメイ トが、スプーンで打とうとしていた。エイミーは、約30ヤード離れたフェアウェイの右サイドで、それを見つめていた。次の瞬間、ボールは右に、ものすごい勢いで飛び出した。シャンクした打球は、エイミーの左側頭 部を直撃。「無意識によける動きをしたと思うけど」と振り返る が、あまりのスピードで、かわす暇はなかった。バッタリと倒れたエイミーの姿を見て、誰もが事態の深刻さを直感した。頭部を直撃しながら、出血している様子がない。それはむしろ、頭蓋骨内での危険な出血が起きていることを予見させた。

緊急通報により救急車が駆けつけ、ドクターヘリならぬドクタージェットに搬送。エイミーは応急処置を施されながら、オアフ島の病院に搬送された。緊急手術により、エイミーは一命を取り留めた。医師から「2時間遅かったら死んでいた」といわれた後、将来の見通しが明るいものではないことも告げられた。 「ゴルフなんか絶対に無理。普通に生活することも難しい」
 
しかし、エイミーにとってショックだったのは、そうした悲観的な見通しよりも、目の前の楽しい予定が、すべて流れたことだった。 「日本とハワイとの対抗戦は、4年連続出ていて、この年はキャプテンとして戦う予定でとても楽しみにしていたの。その次の週には、 米国代表として中国で大会に出場する予定だったのに、それも駄目。先生からは何も考えるな、といわれたけど、そんなこと無理ですよね」

将来を左右する深刻な問題も、その先に控えていた。「3週間後には、フルスカラシップ(授業料などの全額免除)を受けて進学する大学を決め、サインする予定でした。ワシントン大学やアリゾナ州立大学、テキサスA&Mなどから誘われていて、ワシントンに決めるつもりでしたが、 自分でも『すべてが終わったな』 と思いました」
 
だが、奇跡が起きた。1カ月の入院により後遺症もないまま回復。 医師の予想は外れ、エイミーはフェアウェイに舞い戻ることができた。「幸運? だったのかな」と、屈 託なく笑う。「だって、ボールが当たってるんですよ」。打球事故に遭ったのは確かに災難。だが大事に至らなかったのは 不幸中の幸いだった。「死んでいたかもしれないし、目だったら失明していたかも。やっぱり、幸運な のかな」と、6年前に経験した人生最大の危機を振り返る余裕が今はある。
ダイキンオーキッドでは、最終日71とまとめ、順位を上げての2位タイフィニッシュ。ハワイ出身だけに、海風とは相性がいい
ダイキンオーキッドでは、最終日71とまとめ、順位を上げての2位タイフィニッシュ。ハワイ出身だけに、海風とは相性がいい 【拡大】
ゴルフだけは類いまれなる 集中力を見せた

公式資料によればエイミーの出身地はハワイとあるが、産声を上げたのは長崎の佐世保だ。1995年8月26日のことだった。当時、ハワイ在住だったが、父・裕規男さんの「僕の故郷で生まれてほしい」という願いからだった。裕規男さんはハワイの自宅の裏庭に50ヤードほどのアプローチができる鳥かごつきの練習場を造った。そんな父の姿を見て「やりたい」と言い出したのが、 3人姉妹の長女・エイミーだった。裕規男さんは「それなら1カ月間、ゴムティを毎日100球、素振りで打ったら練習場に連れていってあげる」と約束。内心は続かないだろう、と思っていたという。ところが8歳のエイミーは黙々とゴムティを打ち続けた。体幹を鍛えるためテコンドーをやったり、 テニスや水泳、クラシックバレエなど、エイミーは多くの可能性にチャレンジした。さらには裕規男さんがプロとして活躍したこともあるローラースケートにもトライしている。だがそれらでは見せなかった才能を、ゴルフでは発揮するのだ。
 
1カ月後、ドライビングレンジ で打たせてみると、いきなり好シ ョットを連発する。「飛距離も出るし、ボールは真っすぐ出て曲がらない。才能がある、と思いました」。エイミーも、ゴルフだけには類いまれなる集中力を見せる。8時半に学校へ。下校のころ迎えに来てもらい、練習場へ。19時までボールを打ち続け、家に帰るという生活が始まった。初めてプレーしたときのスコアはハーフで 75 。だがその後、ステートジュニアなどに出るようになるとメキメキ上達。日本のジュニアと違い、米国では距離を適正に して、ショートゲームに磨きをかけた。9歳ですでに赤ティからハーフ30で回るほどに上達していた。

10 歳のときにマウイに移住。このころ、島内で6回も転校する。原因は裕規男さんがウインドサーフィンの「いい波が来るところを見つけたから」。エイミーも「転校が慣れっこになっていて、嫌じゃなかった」という。「マウイではみんなでチッピングやパッティングを楽しみながら上達する環境にあった」(エイミー)。高校は15歳5カ月で全米オープン史上最年少出場記録を持つタッド・フジカワを輩出しているモアナルアに進学。ジュニアゴルファーのレベルも高い中、エイミーもジュニア競技を経験しながら順調 にレベルアップしていく。
 
古賀家も将来のプロゴルファー・エイミーのサポート体制を整える。プロに転向すると飛行機とレンタカーでの移動、ホテル生活が日常になる。両親は、近い将来に備え、各業界にコネクションをつくることを決めた。母・ジュリーさんがレンタカー会社に入社し、トップセールスレディーとして活躍。韓国系でブラジル出身のジュリーさんは英語、ポルトガル語など5カ国語を操る。これは大きな強みだ。現在はレンタカー会社から航空会社に転職。現役CAとして活躍中だ。これも将来「メインランドにもいくことになるだろう」という予測に基づいての転職。世界を股に掛けて活躍するエイミーのプロ生活を、サポートするための布石だという。
 
大きなアクシデントを乗り越え、無事にワシントン大学へと進学したエイミーは、NCAAの大会でも活躍。全米でトップ5の実力を維持し「スコアが少しでも悪いと『何やってるんだ!エイミーはもっとやれるはず』と常にチームメイトから厳しく叱責される存在になった」(裕規男さん)。
「まずは日本ツアーでの優勝が目標」と笑顔を見せる
「まずは日本ツアーでの優勝が目標」と笑顔を見せる 【拡大】
ワシントン大学には2年間在籍したが、プロ転向を考えて退部しハワイ大学に転籍。ゴルフ部に半年間在籍して活躍後、日本のQTを受験。ステップ・アップ・ツアーの出場資格が得られたためプロに転向しゴルフ部は退部。一般の学生として在学し、現在に至っている。 「授業はパソコンが開ければ、どこでも受けられる。時差があるのが、ちょっと大変ですが」(エイミー)。米国ではなく、日本のQT受験は 「子供のころから考えていたこと」 だという。「1年に一度は佐世保のおじいちゃんのところに遊びに来ていた。日本語もしゃべれるし、食べ物もおいしい。米国は広くて移動も大変」(エイミー)
 
米国、ブラジル、日本といろんなカルチャーを知り、出した結論が日本でのツアー生活。2年前にステップ・アップ・ツアー全戦、レギ ュラーツアー4戦を経験している。「やはりレギュラーツアーは観客も多くて注目度も高いし、練習環境も整っている」(エイミー)。日本での拠点は大阪・堺に決めた。「成田か名古屋か大阪か。国際空港があり、物価や家賃を考えると堺がベストだった」(裕規男さん)。
 
取りあえずの目標はレギュラーツアーでの1勝。将来は海外のメジャートーナメントへの挑戦も視野に入る。 「ニュージャージーの全米(女子)オープンは、ホームでの戦いになるから」(裕規男さん)。エイミーの底抜けな明るさは、ハワイでの生活で身についたものだろう。手足の長さも、スタイルのよさも世界水準。3ケ国で育ったプロゴルファーが再び世界へ羽ばたき、まばゆいばかりの輝きを放つ日も近い。(文・小川朗)

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