不屈の精神で白血病と闘い続けたジャロッド・ライルが逝去

2014年オーストラリアンマスターズでのひとコマ。娘のルーシーちゃんと練習グリーンで。 写真・Getty Images
2014年オーストラリアンマスターズでのひとコマ。娘のルーシーちゃんと練習グリーンで。 写真・Getty Images 【拡大】
 米PGAツアー、レギュラーシーズンの最終戦、ウィンダム選手権の1番ティグラウンドに、キャディバッグが一つ置かれていた。8月8日に逝去したジャロッド・ライルのバッグだ。トレードマークでもあった黄色いハットも一緒だ。

 2年前のこの試合がライルにとって最後の米PGAツアー出場だった。予選通過を懸けて戦った2日目、18番ホールでじっとボールを見つめて打ったバーディパットが最後の一打となってしまった。

 7月下旬、妻・ブリオニーさんが「積極的な治療を中止して、緩和ケアに移行しました。最後の時間を静かに過ごしたい」と発表してから、多くの選手たちがライル愛用のハットと同じ黄色のリボンを身に着けてプレーした。最後の1週間を自宅で家族と友人たちに囲まれて過ごしたライルは静かに息を引き取った。以降、ゴルフ界は喪に服している。

 父のキャディを務めたことをきっかけに6歳でゴルフを始めたライルは、17歳で急性骨髄性白血病と宣告を受け、治療には1年以上を要したが、プロゴルファーへの夢は諦めなかった。2004年、プロ転向を果たすと、05年はアジアンツアー、翌年は米下部ツアーを主戦場にプレーし、米PGAツアーの出場権を手にした。シード落ちも経験したが、米PGAツアーの舞台に立ち続けた。12年に再発したものの治療が成功しツアーに復帰、その不屈の精神は多くのファンを魅了した。それでも病魔はライルから完全に消え去ることはなかった。17年7月、3度目の発病に見舞われた。

 母国・オーストラリアの仲間たちは、それぞれの思いを語っている。

「あんなにいいヤツはいない。いつも笑っていた。病魔と闘いながらも素晴らしいゴルフを見せてくれた。どんなときも諦めない、その精神は多くの選手に影響を与えた。自分の人生をどう生きるか、考えるべき時間を与えてくれた」(アダム・スコット)

「僕たちはみんなジャロッドが大好きだった。彼がこんな病魔と闘い続けなければいけないのはなんと不公平なことだと思う。どれだけ祈っても変えられないことがある。ジャロッドがもう痛みのない世界に居ることがせめてもの救いだ」(ジェイソン・デイ)

 ウィンダム選手権で1番ティグラウンドに立った選手たちは、それぞれライルに思いを馳(は)せた。“ハロー”という選手も、別れを告げる選手もいた。

 ライルの最後のメッセージ。

「ゴルフをできることへ感謝。1メートルのパットを外しても、ここで戦えることの喜び。ボクの人生は少し短かったけれど、最高のゴルフと最高の人々と過ごせた素晴らしいものだった」

 ご冥福を心から祈りたい。

文・武川玲子
※週刊パーゴルフ(2018年9月11日号)掲載


武川玲子(たけかわ・れいこ)
大阪府出身。米国・ロサンゼルスを拠点に、米PGA、LPGAツアーを精力的に取材している。2011年にはその綿密な取材活動をたたえられ、LPGAグローバルメディア賞を受賞している。

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