短期集中連載「素顔の宮里藍」9

5月26日、今シーズン限りでの引退を発表した宮里藍。その後、米女子ツアーに復帰し、いつものように「全力で」残り試合に臨んでいる。過去にパーゴルフPLUSで“今週の藍ちゃん”というコーナーを持ち、宮里藍と懇意にしているジャーナリストの武川玲子が、フィナーレまでの期間、“藍ちゃん”の知られざる素顔を公開していく。

9 ビジョン54

宮里藍の14年のキャリアで大きな転機となったのは、メンタル面のアドバイスを仰いだ「ビジョン54」との出会いだ。

初めて会ったのはまだ米女子ツアー参戦前だが、本格的にコーチングを受けるようになったのはドライバーの不振に陥った2007年夏。宮里は「人生初のスランプ」に陥って、ビジョン54を主宰するピア・ニールソンとリン・マリオット(ともにスウェーデン)の二人に救いを求めた。

4歳でゴルフを始めたころから「お父さん以外のアドバイスは聞かない」と公言してきたから、新たなコーチを受けるのは彼女にとってどれほど大きな出来事だっただろうか。

ドライバーの不振はスイングコーチの父とスイング改造に踏み切った結果だった。苦しい時間を過ごす中で、ゴルフを辞めることさえ脳裏をよぎったこともあった。それほどスランプは大変なものだった。

これに対し、どんな決断をするのだろうとメディアは見守るしかなかったが、彼女が決めたのは新たなチームの結成。

2008年1月、このオフに宮里は初めて「ビジョン54」が拠点を置くアリゾナ州スコッツデールで過ごした。1日の多くは一人でボールを打ち込んで過ごした。まだまだショットには迷いがあったが、気持ちは真っすぐと前を向いていた。

「今も私のコーチは父です。ただ、今は自分のフィーリングを取り戻したいから、父には少しの間、見守っていてほしいとお願いしました。ピアとリンに指導を仰いでいるけれど、スイングを見てもらうというよりはいろいろな練習法を教わっています。

ピア、リンともすごく理解があって、父も理解があった。ピアとリン、そして父の意見を取り入れて、お互いに了承を得ながらやっていこうと決めています。

私はずっと父に見てもらってきたから、違う人に“あなたのスイングは素晴らしいテンポだ”といわれると、すごく自信になる。スイングを変えなくてもフェードは打てる。今のスイングで十分戦える、そういわれたことは大きかった」

こうして少しずつスランプから脱出し、2009年7月にはエビアン選手権でついに米女子ツアー初優勝を手にした。

ビジョン54をメンタルコーチに持った宮里は、そこで備えたメンタルの強さが際立つ選手だった。しかし、コーチに従ったとはいえメンタルを鍛えたわけではない。自分と向き合い、自分を知ることがどれぐらい大事なことかを理解した。

引退会見でも「私の場合、自分と向き合うのはほとんど趣味みたいなもの(笑)」と話していたが、とにかく試合のラウンドが終わると、どんなときでもキャディのミック・シーボンと話し合いをもった。「フィードバック」と称する、ある種の儀式みたいなものだった。「あのときに何を感じていたか」など、こと細かく整理された。未来でも過去でもない“現在”に集中するのは、宮里にとって大きな収穫だった。

翌年からは父もスイングコーチとして、オフのキャンプにアリゾナを訪れた。こうして新しい“チーム”が誕生した。ビジョン54で身につけた中には、ビジネスにも役立つ話がたくさんある。きっと宮里藍の第二の人生でも、「ビジョン54」が重要なツールとなるのは間違いない。


文/武川玲子
本誌でも「ビジョン54」の連載を行った
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