思い出されるのは苦しみもがく姿 絶対諦めなかった宮里藍の12年

笑顔にあふれた引退会見。その後取材に応じた優氏も「コーチでもあったから藍との関係は難しかった」と静かに語った 写真・村上航
笑顔にあふれた引退会見。その後取材に応じた優氏も「コーチでもあったから藍との関係は難しかった」と静かに語った 写真・村上航 【拡大】
 宮里藍が今季限りで現役から引退することを発表した。12年間の米LPGAツアーで思い出されるのは、むしろ苦しかったときの姿だ。世界ランキング1位にも上り詰めたが、あのつらい時間があったからこそ、今の宮里藍が存在する。

 日本中の期待を背負って米国に渡った宮里は、シーズン2年目、ドライバーのスランプに陥った。その兆しを感じたのは聖地・セントアンドリュースで開催された全英リコー女子オープン。最終日、17番でティショットを大きく右に曲げて2度OBを打ち、大会を終えると涙した。後に師事するビジョン54のピア・ニールソンとリン・マリオットとの出会いは、このときだ。

 その後、米本土に戻っても、正確だったショットは左右に大きくブレ、数十ヤードしか転がらないことさえあった。

 9月のLPGAステートファームクラシック。最終日に途中棄権した。宿に真っすぐ帰り、一人で泣き続けたという。

「何でこんなことになってしまったんだろう、という言葉しか出てきませんでした」

 それでも宮里は逃げなかった。数週間のオフの後、ツアーに戻った。日本で開催されたミズノクラシック(現TOTOジャパンクラシック)では、あまりにひどいショットに、「もう宮里はダメだな」との声も聞こえた。

 スランプの要因はシーズン中にスイング改造を行ったことだ。5月ごろ、ずっと悪いクセといわれていたテークバックでフェースがシャットになるのを直そうと、コーチで父の優氏と話し合って決めたのだという。しかし、それが結果的には宮里の持っていたフィーリングをすべてなくすことになった。

 米ツアーに挑戦する選手は、男女を問わず飛距離を伸ばしたい、フェードとドローを打ち分けたいなど、スイングを改造していく。世界で通用する選手になりたいと思って来るわけだから当然だ。しかし、そこには大きな落とし穴もある。

「父も私も、どこにボーダーラインがあるのか分かっていなかった。そのときにやるべきことじゃなかった、と今なら思う」

 と後悔もした。

 そのオフは、ビジョン54のあるアリゾナ州フェニックスで過ごした。ただ広い練習場で、毎日一人でボールを打った。

「もしゴルフをやめることになっても仕方ない。でも今はとにかく自分のフィーリングを取り戻したい。父には、それまで少し見守っていてほしい、と伝えました」

 こうしてスイングは優氏、メンタルはビジョン54という“チーム藍”が出来上がった。

「これを乗り越えたら、きっともっとすごい自分がいるはず」

 2009年7月、エビアンマスターズでツアー初優勝を遂げるまで、2年超を要することになる。次回は、その話を書こう。

文・武川玲子
※週刊パーゴルフ(2017年6月27日号)掲載


武川玲子(たけかわ・れいこ)
大阪府出身。米国・ロサンゼルスを拠点に、米PGA、LPGAツアーを精力的に取材している。2011年にはその綿密な取材活動をたたえられ、LPGAグローバルメディア賞を受賞している。

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