障害者ゴルフ団体を立ち上げた男の壮絶な半生

発病から10年間病名が分からなかった

ゴルフに救われた一人の男が、同じ気持ちで苦しむ人たちの人生を明るくするために、ひたむきに活動している。小池良太郎。NPO法人日本障害者ゴルフ選手会(DGP)理事長で、自らも20代後半で強直性脊椎炎(AS)患者でもある。人生に絶望した経験を持つが、ゴルフを再開したことでそれを乗り越えた。まさに、生涯スポーツであるゴルフの素晴らしさを体現しているといっていいだろう。(取材/文・小川淳子)

病魔は、20代半ばの小池に襲いかかった。インドア練習場で練習場連盟のアシスタントプロとしてレッスンをしていた頃のこと。浦東大人プロに紹介されてフロリダでタケ小山を頼り、自分のゴルフを見極めて帰国。プロをめざして練習に励み「これから」という矢先だ。原因不明の痛みに悩まされるようになった。最初は背中や腰。病院に行っても原因は分からず、安静にしていても悪化するばかり。ベルトや服が触れただけで、飛び上がるくらいの痛みが走る。やがて痛みは全身に広がり、息を吸うだけでも痛いほどになる。クラブを振るどころではなく、日常生活を送るだけで精一杯になってしまった。

知識と経験を頼りに仕事だけは続けていたが、仕事中に腰の激痛でうずくまり、動けなくなってしまったのだ。休職し、退職を余儀なくされた。33歳だった。横になることもできず、座ったまま口にタオルをくわえるようにして眠る。それでも痛みに悲鳴を挙げた。水泳コーチの恭代夫人と結婚したのは、そんな最中だった。実家で暮し、妻や母のサポートを受けた。病名が分からないまま痛みはひどくなり、不安は募る。

「家の中で這いつくばっていることしかできず、トイレの世話までしてもらっている自分は、誰の役にも立たない。生きていても仕方ない」

と、思い詰めたこともある。母や妻に申し訳ない気持ちもあった。そんな毎日が変わったのは、引きこもって2年ほど経ったある日、鏡を見て気がついた。

「『これ以上生きていても仕方ない』と思っても、不思議なもので爪も髪も伸びるんです。『ああ、体は必死に生きようとしてるんだな。俺の気持ち以外は全部生きようとしているじゃないか。死ぬまでの辛抱だ』と思いました」

以来、気持ちが少しずつ前向きになった。ちょうど同じころ、ようやく病名が分かった。知人に「もしかして強直性脊椎炎(AS)じゃない?」と、順天堂大学の井上久医師を紹介された。自身もASと闘うドクターの診断は「間違いない」というもの。発病から約10年が経っていた。ASは体中の靭帯が骨化する病気で、その過程の炎症によって痛みが発生する。骨化が進むことで可動域は減少していく。原因は現在のところ分かっておらず、決定的な治療法も見つかっていない。

「発見の遅い早いは関係ない。病気は宿命。治る病気ではないし、進行もするけど、死ぬ病気ではない」と、ドクターは淡々といった。進行するということに不安もあり、ショックも受けたが、病名がはっきりしたことで少し心も晴れた。

恐る恐る打った7番アイアンの15ヤードが忘れられない

DGP理事長の小池良太郎
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許可を取り、痛くても体を動かすようになった。最初は家から出て散歩をした。「これ(病気)とどう生きていこうか」と考えられるようになると、ただ体を動かしているのがつまらなくなる。「ゴルフの真似事」をしたくなり、7番アイアン1本を持って練習場に向かった。クラブを持って左右に振るだけでも痛みが走る。ダフれば衝撃が大きいのは分かっているから、高いティアップで恐る恐る打ってみた。

「キャリーは15ヤード。全部で30ヤードしか飛ばなかった。でも、あの1打は一生忘れられません。またゴルフができたと思ったら、本当にうれしくて。すごく痛いんだけど泣きながらボールを打っていました」

ゴルファーとしての復活が、勇気を与えてくれた。繰り返すうちに、痛みと付き合いながらの振り方を身に着けた。知識と経験から自分にできるスイングを作ろうと試みたのだ。30ヤードが50ヤードになり、大きなクラブで打てるようになる。インパクトでの痛みを軽減するため「プロを目指していた時より芯で打つことに心を砕きました」という。「もう一度、コースでゴルフがしたい」という目標もできた。

半年後。最初にゴルフを勧めてくれた友人と静岡県の愛鷹シックスハンドレッドCに行った。フロリダでも一緒に修行した相手だ。うれしかった。「やっぱりゴルフは最高だ!」。また、世界が広がった。障害者ゴルフの世界にも入っていった。体の状態が自分以上に大変だと思われる人たちもいる。「でも、みんなゴルフをやっているときは笑顔になる」と、改めて実感した。大会を目指すようになり「オレでもできることがまだあった」としみじみ感じた。

仕事にも復帰した。元の職場の縁でよみうりCCに誘ってもらったのだ。「痛みもあるし、自信がない。迷惑をかけるから」と、最初は断ったが「それでいいからやってみな」と、背中を押された。職場の人たちも障害を理解しながら、ごく普通に接してくれた。働く喜びを再び感じることができた。そこでの仕事はもう13年目になる。

日本障害者オープンで3勝し、2011年には障害者ゴルフチーム世界選手権で銅メダルを獲得。一般競技にも挑戦し、2017年にはミッドアマで全日本大会に進出している。日本オープン地区予選にも出場し、「77」で回った。

理不尽な言葉をきっかけに自ら団体を立ち上げ

主催する大会のプロアマには宮里優作らも参加
主催する大会のプロアマには宮里優作らも参加 【拡大】
DGPを立ち上げたのは「見た目が障害者ではないから入賞させられない」という理不尽なことをいわれたのがきっかけだ。他にも同様のことがあったゴルファーの話を聞いて納得がいかず、2013年にDGPを作った。

「ゴルフは、障害者にも高齢者にも優しいスポーツ。ゴルフ場がもっと動線や設備などを整えて受け入れてくれればいいなぁ、と思います。そのための道筋をつけることができれば。誰でも明日、障害者になる可能性があるんです。決して向こう岸のことではない。僕と同じ病気の人や障害を持つ人の目に、ちょっとでも入って、興味を持ってもらえれば。ゴルフを外に出ていくためのツールにしてもらいたいんです。明るい人生を送るということが最大の目的です」と、ひたむきに語った。

個人的には、50歳になったら一般競技の日本シニアオープンに予選から挑むことが現在の目標だ。今年、年男だからそれまであと2年。その舞台に立つ日を夢見て、小池は今日も自分と向き合っている。

【追記】
DGPでは様々な活動を行っているが、直近では4月15日によみうりGCで第5回障害者エンジョイ懇親ゴルフ大会がある。健常者と障害者が垣根なくゴルフをし、理解と親睦を深め合うという趣旨のものとなっている。ゴルフが持つ素晴らしさ、可能性を肌で感じられる大会だ。
https://dgpa-golf.jp/schedule/799

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