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平和相銀事件の絡みでゴルフ場訴訟に関与

事務所のデスクで数々の著書を前に
事務所のデスクで数々の著書を前に 【拡大】
 東京都国立市出身。私立国立学園では「神童」とまで呼ばれたほど。中高一貫校の桐朋学園入学後は、卓球部に入部。3年先輩に、今や脱原発運動の先頭に立つ河合弘之がいた。
西村が東大法学部にストレートで入学した動機にも、のちに「さくら共同法律事務所」でパートナーを務めることになる河合との出会いが影響しているという。
 大学3年の頃から東大闘争が激しくなる中、司法試験に合格したのは大学8年生の時だった。最初に入った事務所では学生運動事件に関与し警察回りをしていたが「激しくやり過ぎて」半年あまりで退所している。
 その後、同窓である河合がいる河合・竹内法律事務所(現さくら共同法律事務所)に入り、リッカーなどの会社更生事件に関与しながら仕事を学んでいった。
 最初に担当したのがゴルフ場の預託金返還訴訟。河合と平和相銀事件の絡みでゴルフ場事件にも関わるようになる。先にゴルフを始めたのは河合。その後勧められた西村のほうが、ゴルフにハマった。
 ゴルフを始めたのが1980年代の後半。90年代に入ってバブルが弾けると、大量の会員権を刷りまくって得た資金を流用しパンクした茨城カントリークラブ事件が発生。この後ゴルフ場ビジネスの膿みが一気に噴き出してきた。
 入会時に集めた預託金を返せないゴルフ場が次々に潰れ、会員たちは預託金を巻き上げられプレー権も失うという最悪の事態に直面した。
 会員でもあった東相模ゴルフ倶楽部における闘争が「ゴルフなら西村」と呼ばれる原点となる。破産と競売の知らせを受けた会員が競売停止の運動に立ち上がった。2000人以上の会員組織の、最前線に立ったのが西村だった。
 根抵当権を行使した金融機関に対する競売停止を訴える抗議活動は、数百人規模の街頭デモとして形となる。これをNHKが1日3回も全国ネットで放送。大手金融機関が最も嫌がる形となり、破産にもかかわらず会員のプレー権は守られた。
 90年代半ばになると、西村はゴルフ場の再生に成果を重ね、大手ゴルフ場側の代理人としても仕事をするようになった。常に会員を大切にし、ゴルフ場のあるべき姿を求めて立ち向かった結果、法的整理(倒産)なしでゴルフ場を再生できるよう、ゴルフ場勝訴判決を20件も得ることになる。
 やがて民事再生法が出来、プレー権は保証されたが、情報公開により負債や担保の額を知った日本企業の腰が引けた。結局ハゲタカといわれる外資がゴルフ場を買い叩き、合理化(カジュアル化)してその株式を高値で上場させて莫大な利益を懐に入れた。
 法的整理したゴルフ場の数は、最新のデータで1000コースに近づいている。中でもアコーディアとPGM(パシフィックゴルフマネージメント)の両社が所有に至ったのは約250。まさにハゲタカの草刈り場となった。
 ゴールドマンサックスに屈することなく株主会員制のゴルフ場に再生させた浜野ゴルフ倶楽部のような勝利などもあったが、外資の攻勢も激しく、苦い敗戦も多く重ねている。

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