青木功をゴルフの虜にした河川敷コースが復活

63年前に初めて東京都民を訪れた時、背後の「柳は半分の高さだった」と語った青木。始球式の後は感慨深げ(写真・清流舎)
63年前に初めて東京都民を訪れた時、背後の「柳は半分の高さだった」と語った青木。始球式の後は感慨深げ(写真・清流舎) 【拡大】
「ここでゴルフの虜(とりこ)になった」。

プロゴルファー・青木功の原点ともいえる新東京都民ゴルフ場が奇跡の復活。8月1日、リニューアル・オープン記念式典が開催された。

午前10時からの式典には、このコースがプロゴルファー人生の起点となる青木功日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長のほか日本プロゴルフ協会(PGA)の倉本昌弘会長、鹿浜昭足立区議会議長など、地元足立区の関係者も多く出席した。テープカットのあとは、新装なったコースでの始球式。ティーイングエリアに向かう途中、青木は驚きの声を上げた。

「この柳の木を覚えているよ。当時はまだ半分の高さしかなかったな。70年たつと、こんなに大きくなるんだねエ…。多分ここが池のあったところじゃないかな」と感慨深げな様子だった。

昨年の10月12日、関東地区を直撃した超大型台風19号の豪雨により甚大な被害を受けた同ゴルフ場。2日後の10月14日、同コースを取材した時、三島徹男取締役支配人を取材した時には、言葉の端々に希望が見えた。ところが水が引いた後に深刻な事実が判明。当時、三島支配人はため息交じりにこう言った。

「想像をはるかに超える、大量のヘドロが運ばれてきていた」。

9ホールのゴルフ場ながら、年間2万2千人程度の入場者はあったが、復旧に長期間を要するのは必至。その間、収入はゼロ。ゴルフ場は東京都足立区、北区、埼玉県の3つの自治体にまたがっている。条例により、これまで東京都と埼玉県に「占有料」も支払ってきた。コースに関する窓口となっている足立区都市建設部に取材したところ、直近では東京都に約947万円、埼玉には約272万円となっていた。

また台風の進路が、関東寄りになっている面もある。せっかく復旧にこぎつけても、短期間で次の台風が来ないという保証はどこにもない。運営を継続していく上でのリスクはある。よほど体力のある企業でなければ、持ちこたえることは難しかった。

一方で、閉鎖を惜しむ声も少なくなかった。林由郎が契約プロとして在籍し、青木功や金井清一もこのコースで修業した。日本のゴルフ場の父とも呼ばれるチャールズ・ヒュー・アリソンの流れを汲む上田治が設計。日本のゴルフ場史を語るうえで欠かせない安達貞市翁の手がけたコースとしても知られる。

歴史の重みと、都心に近い地の利に魅力を感じる業界関係者も少なくなく、存続を模索する数社が候補として浮上した。この動きを見ながらゴルフ場の返還手続きをせず、存続の可能性をわずかながら残し続けていたことが吉と出た。その後盛り土をせずにコースを修復し、早期の再開を目指す方針を打ち出したのが葵会グループ。同ゴルフ場を運営してきた株式会社NIHON.TURF&GREEN(以下、NIHON社)と資本提携したことで、存続の道が開けた。プロポーザルも行われず、新東京都民ゴルフ場は、廃業の危機を脱した。

今回のホワイトナイト、医療法人社団・葵会グループ。病院を中核に介護施設・学校法人・ホテルなど、全国130施設を運営している。すでにゴルフ場も3か所ある。系列会社の㈱みずほが那須霞ヶ城ゴルフクラブ(栃木)、一関カントリークラブ(岩手)、千歳カントリ―クラブ(北海道)を保有している。新東京都民は同グループ4コース目のゴルフ場となった。

そのことを誰よりも喜んでいるのは、青木だった。

「63年前の3月16日に、私はこのゴルフ場にキャディーとしてここに入りました。私の師匠である林由郎が2年ばかり早くこちらにいた関係からでしたが、この時、私はゴルフのことなど全く分からないような状態でした。当時私がやっていたのは、ゴルフの真似事でした。というのも、あの頃ゴルフは部長さん以上のクラスしかできなかったんです。キャディマスターに見つかると怒られるんです。それでも隠れてやりました。池の縁に隠れて、キャディマスターがいないことを確認してやるのですが、夕方になると池の水が風で波打つんです。それでお尻が濡れちゃって『冷たい!』と叫んだら見つかっちゃって、「こらあ!」叱られたのが唯一の思い出です」と当時のエピソードを披露した。

同時にコースへの熱い思いも明かした。

「このコースが終わってしまうことをインタビューを受けた時に知りました。でもここに来て、新谷(幸義氏=葵会理事長)さんが新しく助けてくれて、リニューアルしてくれると聞いて、わたしは今日来たんです。存続が決まった今、コースを大事に育てていってほしい」としみじみ語った。

ゴルファーの聖地・セントアンドリュースで行われた全英オープンなど英国の本場のリンクスで戦いながら、新東京都民を思い出すこともあったという。

「イギリスで戦うなら、こういうところで練習していけば間に合います。セントアンドリュースも、コロコロ転がした方が面白い。ゴルフはゴロフ。それを発祥したのは私です。イギリスに行く前には、別の河川敷ゴルフ場で2週間練習したこともあったほどです」。

倉本も新東京都民の価値を深く感じていた。前述の葵会グループは倉本の地元・広島が発祥の地ということで縁も深い。

「このコース(新東京都民)は70年以上の歴史があって、河川敷で、文化遺産だと思います。足立区民にとっても東京都民にとっても日本国民にとっても、残していくべきコースだと思います。これからも末永く、このコースを残していっていただきたい」とエールを送ると、足立区民からも大きな拍手が倉本に送られた。

(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
新東京都民ゴルフ場リニューアルレセプションに出席した葵会・新谷幸義理事長、倉本昌弘PGA会長、青木功JGTO会長(前列右から=1日、東京都足立区新田で。写真・清流舎)
新東京都民ゴルフ場リニューアルレセプションに出席した葵会・新谷幸義理事長、倉本昌弘PGA会長、青木功JGTO会長(前列右から=1日、東京都足立区新田で。写真・清流舎) 【拡大】

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