GS問題と戦い続けた阿部進さん、ALSで逝く

阿部進氏の葬儀の模様(写真・清流舎)
阿部進氏の葬儀の模様(写真・清流舎) 【拡大】
ゴルフスタジアム事件の被害者の会において、シンボル的な存在だったプロゴルファーの阿部進さんが7月4日午後7時50分、死去した。50歳だった。

悲報を受けた多くの仲間が天を仰ぎ、肩を落とした。埼玉市内のセレモニーホールで行われた通夜(7日)、告別式(8日)にはともに法廷闘争に関わってきた被害者の会の関係者らも駆け付けた。

阿部さんは被害額約40億円、1000人以上の被害者を生んだ「ゴルフスタジアム事件」の中で、様々な意味で影響を与える存在だった。この事件は「ホームページ制作費を広告掲載料で相殺し実質無料で作ることができます」とのうたい文句で、レッスン用のソフトを購入のため無理やりローンを組ませて数百万で押し付ける悪徳商法。2017年の春に大規模な被害が発覚すると世間は大騒ぎとなり、各マスコミも一斉に報じた。すぐに被害者の会が立ち上がり集団訴訟を起こす際には、東京地裁内で共同記者会見も行っている。

その後も「被害者の会」は署名運動や告知活動などを積極的に行ったが、そこに阿部さんの姿を見つけることはできなかった。実は事件発覚と同じ時期に、体調が一気に悪化していったからだ。

中学2年生でゴルフを始めた阿部さんは、埼玉栄高、日体大とゴルフの強豪校に進み、卒業後はツアープロを目指した。2001年の全日空(現ANAオープン)はマンデーから本戦へ。2003年には予選から日本オープンゴルフ選手権(日光CC)の本戦出場権もゲット。決勝ラウンドにも進出している。

しかしツアープロという職業は、出場するのに毎回宿泊費や交通費がかかる。阿部さんは約600万円まで借金がかさんだところで、結局ツアー生活を断念。2004年からはレッスンプロへと転向した。

転身はうまくいった。「365日のうち、360日は働いていました」(阿部さん)という忙しさ。その頃、18ホール回ることができるラウンドレッスンをするプロが少なく、たちまちお客は1000人に達したという。2006年に「エバ(ABEの逆)ゴルフアカデミー」を立ち上げ、スタッフも増員。最盛期は8人のスタッフがおり、グループレッスンとラウンドレッスンが好調。10年近く、売り上げもコンスタントに年間5000万~6000万円を計上していた。

そんな時、この悪徳商法の被害に遭ってしまった。GS社と阿部さんは、すでに10年以上の付き合いがあった。当初は同社のスイング分析器「モーションアナライザー(以下MA)」(1台250万円)を2台導入。

「ホームページの製作費とともにローンを組んで、返済額は300万円程度だったと思います。当時はスマホやiPadもなく、レッスンの内容をすぐに見られる機械がなかった。ホームページと連動していて、お客さんも今日のレッスンの動画を見ることができ、好評だった。ウチは週2、3回はホームページを更新していましたから、『GSさんに手間をかけさせているな』と申し訳ない気持ちもありました」(阿部さん)。

だが当初は健全だった会社が、徐々にブラック企業へと姿を変えていったことに阿部さん自身は気づかなかった。

「10年以上の付き合いがあって、その間トラブルなく来ている。300万円のローンが済んで800万円の新規契約に切り替えた時も、『阿部さんにはお世話になったので、今回は(ホームページの制作費を実質)無料とさせていただきます』というセールストークだったんで、信じてしまった。実際、ゴルフスタジアムにとって、私は長年つきあった、いいお客さんだったはずですから」。

始めは重宝していたMAも、いつしかローンを組むためのダミーのように成り果てていた。ほぼ同じタイミングで、阿部さんには大きな試練が襲い掛かった。

「この事件が発覚したのと同じころだったと思います。仕事を終えると、しばらく動けないくらいに体がだるい。異常に疲れやすくなって、足が全然ついてこない。整形外科に行ったけど。MRIやCTを何回撮っても原因が分からない。結局神経内科にたどりついてALS(筋萎縮性側索硬化症)であることが分かるまで、1年かかってしまった。みんな、自分がALSであることに気づけない。そういうものなのかな、とも思ったりしますが」。

阿部さんのすごいところは、自分も含めて、ALSの認知度が低いことを知り、自らその問題解消に乗り出すことだ。ALSは手足、のど、舌の筋肉や、呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて力がなくなっていく難病。世間にこの病気を知らしめるため「ALSチャリティコンペ」を開催。新薬の開発のため寄付を集めるボランティア活動にも精力的だった。

「近所にALS協会の本部がある病院があるのですが、普通の人は神経科と精神科の区別すらつかない。実は私も似たようなものでした(笑)。だからこそ、ALSのことを、みんなに知ってもらいたいんです」。

「世界で誰一人も治っていない病気ですから、あと1年、持つかどうかも分からない」と言いながら、治験にも積極的に参加。自宅の壁に貼ってあった「Never give up」の文字を指さし「あきらめが、悪い方ですから」と笑った。

昨年の3月26日。ゴルフスタジアムの債権者集会が東京地裁で行われた。そこには、車椅子に乗った阿部さんの姿があった。「体調が悪かったせいで、みんなのお手伝いが全くできず、本当に申し訳なかった」との思いから、ヘルパー帯同で介護タクシーに乗って駆け付けたのだ。GSの堀新(あらた)前社長にも直接、経営者としての責任を追及した。被害者の面々にも、その思いは伝わった。

「ゴルフスタジアムの件も、ALSの件も、世間の人々に知ってもらうことが大切。ぜひ記事を書いてください」というのが口癖だった。筆者とも定期的なやり取りをしていて、最後のメールは亡くなる17日前の6月17日だった。「大変ご無沙汰しています。最近はかなり厳しい状況ですが何とか頑張っています。記事ありがとうございます。よろしくお願い致します」といつもの文言が並んでいた。

被害者の会では戦いのシンボルでもあり、精神的支柱のひとりでもあった。被害者の会の代表で、大学の先輩でもある今西圭介は、シニアオープン予選の練習ラウンドで、告別式には出られなかった。「彼も今年、ちょうど50歳。元気であれば、一緒にラウンドもできたのに」と沈んだ声でつぶやいた後、こう続けた。

「ウチの妻も実は難病。彼は告知を受けたあと、一度来てくれたんで、こちらも介護認定など行政手続きの話をしたり……。彼自身、国や厚労省に問題点を指摘するなど、いつでも前向きで、すべてはプラス思考の男でした。それにしても、こんなに早く亡くなるとは思っていなかった」。

被害者の会のもう一人の代表・横田亮が受けたショックも大きい。

「心にポッカリ穴が空いた感じです。でもこれからやるべきことと言えば、一丸となり、阿部さんの分まで頑張るしかない。会員の皆様にも報告を兼ね、メールを送ったところです」。

法廷闘争はこれからが大きなヤマ場。墓前に勝利報告を届けたい。

(日本ゴルフジャーナリスト協会会長・小川朗)
ゴルフスタジアム問題解決に向け先頭に立っていた阿部氏(写真・清流舎)
ゴルフスタジアム問題解決に向け先頭に立っていた阿部氏(写真・清流舎) 【拡大】
自宅の壁に貼ってあった「Never give up」の文字(写真・清流舎)
自宅の壁に貼ってあった「Never give up」の文字(写真・清流舎) 【拡大】
阿部進氏の葬儀の模様(写真・清流舎)
阿部進氏の葬儀の模様(写真・清流舎) 【拡大】

スペシャル最新記事一覧

Pargolf Members

すでに会員の方はこちら

最新トピックス


アクセスランキング

ツアー・トーナメント

フォトギャラリー

トーナメントプロ公式サイト・ブログ