【GOLF、今この人に聞きたい!】 第147回:相原博之さん

 「いやぁ、去年の北海道シニア選手権の決勝でやっちゃいましてね……」

 と頭をかきながら話し始めた相原さん。初日は37・38の75と自分なりにはまずまずのスコアで18位につけた。2日目も前半はパープレーと調子を上げてきた。この大会で6位以内に食い込めば全国大会への切符が得られる。ヨシッと気合を入れて折り返しの10番ホールに入ると、相原さんの組に競技委員がつき始めた。アマチュアの大きな大会では上位に入りそうな選手のいる組には競技委員がつくのが一般的なのだが、相原さんにとっては初めての経験だった。

 「『相原選手11番ボギー打ちました』、なんて競技委員がトランシーバーで話しているんですよ。それを聞いたら、緊張してゴルフにならなくなっちゃって。結局後半は42を打ってすごすごと家に帰りました(笑)」

 少年時代からスキー一筋の相原さんがゴルフを始めたのは27歳のころ。現役引退後に東海大学の松前重義総長(当時)から、本格的なスキー部をつくって世界レベルの選手を育ててほしいと請われ、指導者の道を歩み始めた。監督就任初年度は当然大学に選手はいない。そこで高校のスキー部の指導を手がけた。高校の体育コースのスキーの授業は16時に終わる。一方、ゴルフ部に所属する一般コースの高校生が練習を始めるのは16時半ごろ。

 「車でゴルフ部の生徒をゴルフ場まで運んでいって生徒の薄暮ハーフラウンドを手伝ってと頼まれて、しばらく一緒に担いで回り始めたのがきっかけです。そのうちコイツらに勝ってやろうかな、と闘志が湧き上がってきまして」

 そこで大学の近くのゴルフ場のメンバーになり、クラブの競技会にも参加し始めた。現役時代は背筋力が約280キロ、太モモの周囲が64センチもあるレスラー並みの体格だけに、ドライバーは当時のパーシモンで320ヤード飛んでいたという。

 「でも、曲げまくってましたね。残りのウェッジで何とかスコアを稼ぐようなプレーでした」

 それでも高校生と一緒にバッグを担いで芝の上から球を打ち、夜遅くまでパット練習を重ねるうちに、クラブの月例競技でBクラスからハンディ12以下のAクラスに昇格した。それからは練習だけではなくギアにもこだわり始めた。当時はジャンボ尾崎の全盛期。ウェアと髪形以外は全部ジャンボモデルを買いそろえた。

 「J’sのアイアンセットは、割引してもらって30万円くらいしましたけど、買いましたね。2番アイアンも入れていました。もう新モデルが出るたびに買いましたよ。今でも自宅にあります。メタルが出る前にジャンボが使っていたマグレガーのターニーM‐85なんかを今の学生に見せると、先生、何ですか、この木のクラブは? って聞かれました」

 タイガー・ウッズがデビューしてからはウッズ一辺倒。ノーメッキのボーケイウェッジを使っていると聞き、探し歩いて手に入れた。またウッズはウェッジのロフト角を表示よりも立てていて、56度は54度に、60度は58度にそれぞれ調整していると耳にするや、自分のウェッジを工房に持ち込んだ。

 「とにかくトップ選手のマネをしました。やっぱりもともとがスキー選手なので、道具の調整は興味がありました」

 スキーの板はエッジの研ぎ具合によって切れ味が変わり、ワックスがその日のコンディションに合わなければうまく滑らない。ゴルフギアも同じというわけだ。昔は振れば350ヤード飛ばした相原さんだが、シニア入りしてからは飛距離対策の調整をやはり道具で行っている。


「200ヤードを3打で収める。それができればハンディ5から落ちません」

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