森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント スターツシニアゴルフトーナメント「縁をつなげてきたシニアのパイオニア」(1)


シニアの時代到来を予感し、バブル絶頂期に参入した

華やかなトーナメントの裏側で、大会を成功に導くべく奔走する企業人の姿を活写する本連載。今回からはスターツシニアゴルフトーナメントを取り上げる。1988年に施行された日本男子のシニアツアーだが、そんな中、翌89年から始まった同大会は当時、日本プロシニアと並ぶ重要な大会に位置づけられていた。しかし、その後、10年間の中断を挟むなど、平坦ではない道のりも経て現在がある。

同じくシニアを支えるファンケルの池森とは盟友

終始柔和な表情で取材に応えてくれたスターツコーポレーション会長兼CEOの村石久二
終始柔和な表情で取材に応えてくれたスターツコーポレーション会長兼CEOの村石久二 【拡大】
 ゴルフや卓球、マラソンや駅伝……。昨今、テレビ中継されるスポーツイベントの出場選手のユニフォームで、やたら「STARTS」のロゴマークを目にすることが多くなった。そう感じるのは私だけではないだろう。スターツは2007年の第1回から、あの「東京マラソン」のオフィシャルスポンサーにもなってきた。創業会長で、現在も経営責任者(CEO)を務める村石久二(74)は、その「仕掛け人」でもある。

 今年6月、19回目を迎えた「スターツシニアゴルフトーナメント」は、村石が手がけてきた数々のスポーツイベントの中で、その嚆矢(こうし)といえる。スターツ本社の応接会議室で、会長の村石と会った。

「銀行員から不動産業を起こしましたが、早い段階から地域に密着した“総合生活文化企業”というビジョンを描いていました。1986年、創業の地・東京都江戸川区でタレントのつのだ☆ひろさんをはじめ多彩なゲストを招き、一日で3000人の地域住民の方を集めた『サマーフェスティバル』を開いたのが“協賛”の始まりです。その後、市民マラソン、陸上部創設、卓球へとつながり、文化面では『新日本フィルハーモニー交響楽団』などの応援に至っていますが、スポーツ分野では『TPCスターツシニア(ゴルフ)』(当時の名称)が初の協賛でしたね」

 村石は69年3月に東京の下町、江戸川区瑞江で個人商店「千曲不動産」を創業して以来、飛躍的に業績を伸ばしてきた。現在の本社は、東京駅から東に3分ほど歩いた八重洲通りと中央通りが交差する日本橋三丁目交差点にある。89年4月、ビルのエントランスに高さ6メートルのキリン像が出現して話題になった。鍛金彫刻家、安藤泉作のキリン像を設置したのは「ツムラ順天堂」だったが、今はそこにスターツが本社を構えている。

 村石は一代でここまで会社を大きくした文字どおりの立志伝中の経営者だ。同じ創業経営者でファンケルクラシックを主催してきたファンケル会長の池森賢二の盟友である。シニアトーナメントをやり始めた理由は何か、尋ねてみた。

「池森さんはシニアを元気づけようとし、トーナメントにも勢いがあって頭が下がります。私が始めたときも、その気持ちは一緒だったとは思いますが」

 そう話し始めた。スターツシニアが始まったのは、くしくも本社ビルのキリン像が完成した89年のことだ。日本のバブル景気が大きく膨らみ、頂点に達しようとしていたころだった。

「元はといえば、その少し前に会社の幹部たちが集まって熱海で研修をしていたときに、スポーツイベントとして台湾でゴルフトーナメントを開いてはどうか、という提案があったんです。海外のたくさんの国々と平和で友好的な関係を築いていきたいという夢から、83年には海外進出の第一歩を踏み出し、今では海外35都市で事業展開しています。その中でゴルフでいえば、当時の台湾勢のト阿玉や陳清波、謝敏男といった選手が日本で活躍していた。なので、さぞかしゴルフが盛んなんだろうと思ったんです」

 と村石。こう続けた。

「ところが、実際は盛んどころか、向こうではテレビ中継もないのが分かりまして。で、さらっと諦めたところに、田原紘プロから『これからはシニアの時代になるよ』といわれ、そこに乗ったのです。高齢者や女性などどちらかといえば弱い立場の方の味方となり応援する、というスターツのポリシーからですね」

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