森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ダンロップフェニックス「世界基準のトーナメントを日本に」(6)

日本のメーカーも海外進出しなければ生き残れない

スリクソンブランドの世界市場での知名度アップに多大な貢献をする松山英樹
スリクソンブランドの世界市場での知名度アップに多大な貢献をする松山英樹 【拡大】
 だが、木滑はゴルフビジネスの環境変化について、「この20年間、世界のビジネスの事情に左右されながら、対応してきた」という。そうした状況の中で住友ゴムが展開したブランドが、ゼクシオ(XXIO)やスリクソン(SRIXON)だった。木滑が続けた。

「ゴルフやテニスでダンロップブランドが根づいたとはいえ、それは日本や韓国、台湾に限られ、そこで製造・販売する権利しか持ち合わせていませんでした。一国単位のビジネス展開だと、それでよかったのですが、やがてマーケットがグローバル化し、われわれ日本のメーカーも世界に打って出て戦わないと生き残れなくなった。ところが、いざそうなっても戦えるブランドがない。そこで考えたのが、ゼクシオやスリクソンなのです」

 東南アジアの工場で製造し、2001年から「世界ブランド」として本格的に売り出したのがスリクソンであり、「21世紀を切り開くゴルフギア」というコンセプトから誕生したブランドがゼクシオだ。木滑はそのゼクシオの生みの親として知られる。

「ゼクシオは21世紀に向けたブランドとして、確かに企画担当の課長だった私が開発命名者の一人という位置づけになっております」

 当の木滑が、こうゼクシオ開発の裏事情を披露してくれた。

「なぜゼクシオを開発しなければならなかったのかといえば、ちょっとした事情がありましてね。当時、われわれは日本におけるキャロウェイの代理店をしていて、そこでけっこうな売り上げを残してきました。住友ゴムのクラブ売り上げの半分以上がキャロウェイだったはずです。ところが、そのキャロウェイとの契約が終了する。それはスポーツ事業が傾くぐらいのダメージです。当時はそんな危機的な状況でした。で、ここを何とか乗り切るためには、キャロウェイに代わる新しいブランド、新しい商品を作らなければならなかった。それがゼクシオです」

 キャロウェイが代理店契約を打ち切ろうとしたのは、もはや日本での販売においてダンロップの力を借りる必要はないと見たからだろうが、その影響は甚大だった。木滑はいわば、住友ゴムグループにおけるスポーツ事業の生き残りを懸けたブランドの売り出しを請け負ったことになる。そして、大当たりした。

「99年にゼクシオを開発し、そのデビューを見届けた後、ダンロップスポーツエンタープライズに出向になりました。ちょうどこのとき、日本のゴルフトーナメント黎明(れいめい)期の偉大な存在である大西久光さんが、60歳で会社を離れられました。大西さんは住友ゴムの常務やエンタープライズの社長を務めてこられました。そんな状況で、私がダンロップスポーツエンタープライズに行くことになったのです」

 そこから住友ゴムグループでは、さらに企業再編に乗り出す。ダンロップフェニックスを運営してきたダンロップスポーツエンタープライズの親会社、ダンロップスポーツが今年1月、住友ゴムに吸収・合併された。これもまたゴルフビジネスの変化をとらえた住友ゴムの戦略変更だった。

(文中敬称略・以下、次回)
Written by Isao Mori
※週刊パーゴルフ(2018年5月8・15日合併号)掲載


森功(もり・いさお)
1961年生まれ、福岡県出身。確かな取材力と筆力で真相を抉るノンフィクション作家。2008年『ヤメ検』、09年『同和と銀行』(ともに月刊現代)で2年連続「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞。ゴルフ歴15年

※次回は11/13(火)更新予定


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