森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ダンロップフェニックス「世界基準のトーナメントを日本に」(6)

大会が歴史を刻む一方、住友ゴムを取り巻くビジネス環境は大きく変化した

ダンロップフェニックスの主催者である住友ゴムは、国産初のゴルフボールを製造・販売するなど、日本のゴルフ業界をリードするメーカーであり続けてきた。そのブランド価値の向上にトーナメントが果たしてきた役割は大きい。しかし、その一方で同社のスポーツ事業が存廃の危機に立たされた時期がある。そんな中で生まれたのが、今や国産ゴルフクラブの代表格として認知される〈ゼクシオ〉である。

トーナメントで市場を開拓、ライバル社も現れた

 地元の全英オープンで米国勢に圧倒されてきた英国人のヘンリー・コットンが、11年ぶりに優勝した1934年の大会ベストスコア「65」を記念して製造された〈ダンロップ65〉。英ダンロップ社と提携した住友ゴム工業は30年後、その幻のゴルフボールを日本で再現して製造、販売して大ヒットした。

 それから10年後の74年、住友ゴムは日本のゴルフマーケットをもっと広げようと、宮崎でダンロップフェニックスを始める。以来40有余年、ダンロップはトーナメントとともに、世界に通用する日本のゴルフブランドとして定着してきた。

 半面、ダンロップフェニックスが歴史を刻んでいく中、ゴルフ用品メーカーを取り巻くビジネスのありさまは変化していく。長年トーナメントの運営会社であるダンロップスポーツエンタープライズで舵(かじ)を執ってきた住友ゴム工業副社長の木滑和生(61)は、そんなビジネス環境の変化を敏感に感じ取ってきたという。

「ダンロップフェニックスだけではなく、トーナメントが増え、日本のゴルフ市場のパイが大きくなったのは事実です。その市場を耕したのはわれわれかもしれませんけど、他のゴルフ関連メーカーもそれを刈り取っていった。当時、国内ゴルフメーカーは当社とブリヂストンさんで、他には海外ブランドしかなかったですが。ただ、そこも含め、市場が広がったのはプラスになったはずです。私が会社に入ってしばらくは、当社の5割超のシェアとブリヂストンさんの3割を合わせて8割が国内製だったようです。かつて当社は8割近くのシェアがあったので、それからすれば下がりましたけど、マーケットが広がったぶん、売れ行きの総量としては伸びていました」

 住友ゴムは戦前から英国のダンロップ社と提携し、日本にゴルフ用品としてダンロップブランドを浸透させた。とりわけ70年代から90年代までは、その強みを発揮してきたといえる。と同時に、ダンロップスポーツエンタープライズは数多くの国内トーナメントを運営し、ゴルフ界をリードしてきた。

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