森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ダンロップフェニックス「世界基準のトーナメントを日本に」(2)

メジャーと遜色ない賞金の代わりに、出場に対するギャラは払わない、ニクラスでさえ条件は同じだった

1973年に日本男子ツアーは発足したが、ダンロップフェニックスは、それに遅れること1年、74年に始まった。前身である全日空フェニックスを引き継ぐ形だったが、主催者の住友ゴム工業は、単なる冠の架け替えにとどまらない大会コンセプトの大胆な変更を打ち出した。それは日本にかつてなかった世界基準のトーナメントづくりや、日本のゴルフ文化の醸成という、壮大なビジョンに基づくものだった。

メジャーが6000万円の時代、5000万円の賞金総額

76年大会でのニクラス。帝王といえども、アピアランスフィは支払われなかった
76年大会でのニクラス。帝王といえども、アピアランスフィは支払われなかった 【拡大】
 1970年代に入り、一種のプロゴルフトーナメントブームが起きる中、74年開催のダンロップフェニックスは、むしろ後塵を拝していた。住友ゴム工業にとっては、出遅れ感があったのかもしれない。日本で初めてトーナメント運営子会社としてダンロップスポーツエンタープライズを設立し、自社の冠のついたダンロップフェニックスを始めた。それはある意味、これから日本のゴルフ界をリードしていこうとする決意の表れだった。

 そこでダンロップは、トーナメントを日本にない世界基準のそれにしようとしたのではないか。住友ゴム専務執行役員の木滑和生(61)に、ダンロップフェニックスを世界基準にしようとした経緯について尋ねた。

「当時でも、外国人選手が日本に来てプレーするトーナメントはあったと思います。けれど、ここまではっきりとグローバル目線で設えた試合はなかったと思います。ゴルフ場のコースセッティングやホスピタリティのレベルを世界基準にし、それにより日本のゴルフのレベルを上げていこうとした。大げさにいえば、ゴルフを日本の文化に定着させるため、今までとは違ったものを大会に求めた。それが、ダンロップフェニックストーナメントの意義だし、心意気だったのでしょう」

 トーナメント運営会社、ダンロップスポーツエンタープライズの立ち上げメンバーが、住友ゴムの社員だった大西久光と戸張捷だ。中でもダンロップフェニックスは、大西とフェニックスCCオーナーである地元出身の佐藤棟良が手を取り合い、宮崎を日本のゴルフの聖地に、と世界に発信しようとしたといわれる。

 もっとも、ひと口に世界基準といっても、どこがそうなのか、分かりづらい。例えば運営費用などもその大きな要素といえる。74年当時で賞金総額5000万円――。少し前の68年に発生した3億円事件の被害額を現在価値に換算すると、消費者物価指数換算で10億円、大卒の初任給換算では20億円から30億円とされる。したがって、賞金総額は少なく見積もって2億円、多ければ5億円という計算になる。木滑が続ける。

「当時、メジャーの賞金総額が6000万円より少し高いぐらいで、ダンロップフェニックスが5000万円なので、それほど遜色ないんです。それに加え、例えばアピアランスフィ(出場料)と呼ばれる選手に対するギャランティもない。一般的に日本のトーナメントは、有名選手を呼ぶためにギャランティします。しかし、米国のメジャーだと出場そのものが名誉ですからありません。そこでダンロップフェニックスでも、『こちらへ来ていただく旅費は出しましょう、ただしギャランティはしませんよ』と言い切った。その代わり、賞金総額を高く設定するので、自分の実力で稼いで帰ってよ、というわけです。今は海外メジャーの賞金総額は、日本のトーナメントの10倍くらいに高騰していますから、それはできませんけど、少なくとも当時は、そういったコンセプトでやっていましたね」

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