森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ダンロップフェニックス「世界基準のトーナメントを日本に」(1)

寡占状態であったゴルフボールの売り上げをさらに伸ばすためには、ゴルフ人気の起爆剤が必要だった

華やかなトーナメントの舞台裏で奔走する企業人の姿を活写する本連載。今回からは「ダンロップフェニックス」を取り上げる。ジャック・ニクラス、トム・ワトソン、セベ・バレステロス、タイガー・ウッズ、ジョーダン・スピース……。この大会に出場してきた海外のスター選手、メジャー王者は枚挙にいとまがない。世界的にも名を轟かせてきたビッグトーナメントは、どのように成立していったのだろうか?

日本初のトーナメント運営会社を設立

住友ゴム工業・専務執行役員の木滑和生。旧ダンロップスポーツ社長を経て、現職
住友ゴム工業・専務執行役員の木滑和生。旧ダンロップスポーツ社長を経て、現職 【拡大】
〈本大会の歴史は1974年に帝王ジャック・ニクラウスが大会の趣旨に賛同し数多くの米ツアーの選手たちを引き連れて参戦したことに始まります〉

 現在の大会パンフレットは、冒頭からこう自信満々に書いている。宮崎の「ダンロップフェニックストーナメント」は、名だたる日本の名門男子プロトーナメントの中でも、世界基準のそれに最も近い。そこに異論を挟むゴルフファンは、そうそういないだろう。1972年から2年続いた前身の「全日空フェニックス」を引き継いで衣替えされた大会だ。

 そんなダンロップフェニックスの冠スポンサーである住友ゴム工業は、日本のプロゴルフトーナメントを牽引(けんいん)してきたといっても過言ではない。住友ゴムとトーナメントのかかわりでいえば、初めはダンロップフェニックスの3年前に当たる69年、ダンロップトーナメントを開催。後にこれが三菱ギャラントーナメント(現在のダイヤモンドカップ)に形を変えるが、その一方で住友ゴムは、73年に日本で初めてプロゴルフトーナメントを運営する会社として「ダンロップスポーツエンタープライズ」を設立した。ダンロップフェニックスの歴史も、そこから始まるといっていいだろう。

 住友ゴムでは、2003年に本体のスポーツ事業部を「SRIスポーツ」(後にダンロップスポーツに社名変更)として独立させ、そこがダンロップスポーツエンタープライズの親会社となる。エンタープライズ社は、日本のプロゴルフトーナメントの半数の運営に携わるほどゴルフ界に深く浸透してきた。そんな住友ゴムグループにおいて、最もトーナメント事情に詳しい人物がいる。それが専務執行役員の木滑和生(61)である。

「もともと日本でゴルフが盛んになる一つのきっかけは、57年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で開かれたカナダカップの日本チーム優勝で、それが第1次ゴルフブームだとおっしゃられる方もおられる。それからゴルフ場も増え、プロのトーナメントがいくつか開催されるようになって、われわれもゴルフボールを作る会社として取り組むようになったのです」

 そう話す木滑は、ダンロップスポーツエンタープライズ常務や住友ゴムスポーツ管理部長など、スポーツ事業畑を歩み、03年からダンロップスポーツの取締役、15年からダンロップスポーツの社長を務めてきた。11年余りにわたって同社の経営に携わり、今もダンロップフェニックスの大会副会長を務めている。

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