森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント 富士通レディース「40年目を迎えたチャリティの先駆け」(2)


ナンシー・ロペス、ローラ・ボーら、米女子ツアーのスターを迎えて、第1回大会は華々しく開幕した

華々しいトーナメントの舞台裏で戦う企業人の姿を活写する好評連載の第6弾は、昨年度大会で35周年を迎えた富士通レディース。通常はツアー競技の付属物と見なされるプロアマ大会がルーツであり、前身の「日米プロアマチャリティゴルフ」から数えれば40周年を迎える現在でも、そのチャリティ精神を連綿と受け継いできている。第1回大会は日米のスターを迎えて華々しく開幕した。

第5回大会までプロアマチャリティとして開催

天使のような笑顔で世の男性ゴルフファンをとりこにしたローラ・ボー 写真・Getty Images
天使のような笑顔で世の男性ゴルフファンをとりこにしたローラ・ボー 写真・Getty Images 【拡大】
「日米プロアマチャリティゴルフ」という前身の名称でスタートした富士通レディースは、日本におけるプロアマ大会開催の草分け的な存在だといえる。1978年11月4日土曜日、1日だけのチャリティ大会なのに、日米のスター選手が勢ぞろいし、一気に知名度が高まった。中でも評判を呼んだのが、当時、女子プロ世界ナンバーワンとされたナンシー・ロペス、そしてローラ・ボーだった。

「富士通のチャリティは、その前に日本で開催した米女子ツアー公認の『LPGAジャパンゴルフクラシック』がきっかけだといえます。日本で米国公認の試合をやろう、とスポニチが開催した冠スポンサーなしの大会で、そこに30人ぐらいの米国の選手を連れてきたのです。当時は今のような選手のマネジメント組織がないので、僕も米国に行って一人一人選手を口説きました。その中でローラ・ボーはアマからプロに転向したばかり。とにかくかわいいことで有名でした」

 そう振り返るのは、LPGAジャパンゴルフクラシック、富士通の日米プロアマの両方に携わってきたトーナメントプロデューサーの戸張捷だ。戸張は世界アマで活躍していたころからローラ・ボーに注目していて連れてきたという。ジャパンゴルフクラシックで来日するや、えくぼの印象的な笑顔とミニスカートで芝目を読むスタイル抜群の容姿が、爆発的な人気を呼んだ。現在のアンシネ以上の騒ぎだったといえる。

 ちなみに73年にスタートしたLPGAジャパンクゴルフラシックは、日本で開催されるただ一つの全米女子プロゴルフ協会公認大会として、現在まで続いている。最初の2大会は冠がなかったが、そこから「美津濃」や「マツダ」「東レ」とスポンサーが交代しながら、今日の「TOTOジャパンクラシック」となっている。40年以上続く日本有数の老舗トーナメントである。

 前回で紹介したとおり、富士通のプロアマチャリティは日本商工会議所会頭の永野重雄を大会名誉会長に擁し、財界人が応援した。その第1回の日米プロアマには樋口久子や岡本綾子といった日本人のトッププロも参加したが、なによりナンシー・ロペスやローラ・ボーという米国のスター選手がやって来たのだから、成功しないわけがない。

 そうして大成功を収めたプロアマチャリティは、2回目から米国人選手を呼ばずに「富士通プロアマチャリティ」という名称で4回開催された。78年から82年まで合計5回のチャリティの後、83年から通常のトーナメントとして、その中にプロアマチャリティを組み込む形になる。

 折しもトーナメントの始まった80年代前半といえば、富士通にとっても大事なころ。あの〈OASYS〉を売り出し、東芝やシャープなど同業他社との熾烈(しれつ)なワープロの販売競争を繰り広げていった時期に当たる。

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