森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ファンケルクラシック「シニアツアー黄金期へ牽引した17年」(1)

原辰徳からの一本の電話で、ゴルフとのかかわりは始まった

華やかなトーナメントの舞台裏で奔走する企業人の姿を活写する本連載。今回からは「ファンケルクラシック」をシニアツアーで初めて取り上げる。ファンケルクラシックといえば、シニアツアーが試合数、賞金総額とも少なかった時代から高額大会として知られ、観客動員は男女のレギュラーツアーを合わせてもトップを争う。特別な大会をつくり上げた会長の池森賢二は、しかし当初、ゴルフにさしたる思い入れを持ってはいなかった。

2年間だけかかわったレギュラーツアー

ファンケルの代表取締役会長でありファウンダー(創業者)の池森賢二。一代で一部上場企業を築いた立志伝中の人物だ
ファンケルの代表取締役会長でありファウンダー(創業者)の池森賢二。一代で一部上場企業を築いた立志伝中の人物だ 【拡大】
 日本における最大のシニアトーナメントといえる「ファンケルクラシック」は、21世紀の幕開けとともに始まった。今年18回目を迎える。もっとも、実はファンケルの冠がついたトーナメントは、これだけではなかった。ファンケルクラシックに先駆けて開催されたのが、1999年と2000年に開かれたレギュラーツアーの「ファンケル沖縄オープン」だ(00年の大会名はファンケルオープンin沖縄)。大手マンションディベロッパー「大京」の経営不振を機に、ファンケルが「大京オープン」を引き継いだ(※)。賞金シード争いのかかる12月のシーズン最終試合。それだけにゴルフ界の注目度は高かった。

 ファンケルといえば、会長の池森賢二が脱サラして一代で築いた無添加の化粧品メーカーとして知られ、池森は日本におけるサプリメント食品の生みの親とも呼ばれる。シニア、レギュラーいずれのトーナメントも、池森が決断して始めたものだ。

 その池森本人に横浜市のファンケル本社で会った。ファンケルオープンの始まりは意外な人物からの依頼だったという。

「大京オープンを引き継いだのは、元読売ジャイアンツの原辰徳さんからの話でした。もともと原さんが現役を引退して解説者となられていたころ、うちのイメージキャラクターとしてどうか、と広告代理店から薦められたのです。それが原さんとの出会い。ちょうどうちでサプリメントを販売し始め、あの爽やかな笑顔がぴったりだと思いましてね。それ以来、親しくさせてもらってきました。原さんは大京の横山(修二)元会長と親しくしておられたので、私に声を掛けていただいたのだと思います」

 そうトーナメントに乗り出す舞台裏を明かしてくれた。1937年6月、戦前生まれの80歳。とても傘寿を済ませたとは思えない。今もファウンダー、代表取締役会長として事業を切り盛りしている。

 くしくも、ファンケルが沖縄で大京オープンを引き継いだのは、日本経済全体が沈んでいた時期と重なる。バブル崩壊後の長引く不況に加え、97年に発生した金融危機が大京を襲った。そこで手を挙げたのが、ファンケルだった。ゴルフ界にとってそれは、従来の冠スポンサーにはない健康食品メーカーという新たな企業の進出でもあったといえる。

※98年大会は大京と沖縄オープンゴルフトーナメント実行委員会の共催となり、当時のDDIグループ(現KDDI)が特別協賛について「DDIグループ沖縄オープン」として開催

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