森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント サントリーレディスオープン「宮里藍、国内最後の舞台」(5)

ゴルフ場という気持ちのいい環境で、ビールを最高においしい状態で出す

華やかなトーナメントの舞台裏で奔走する企業人の姿を活写する本連載。サントリーレディス編も今回が最終回。男子のサントリーオープンを合わせると、45年間にもわたってゴルフのトーナメントを開催し続けているサントリーだが、1973年当時、飲料メーカーである同社は、ツアー主催者の中では異質の存在だった。現在の大会運営幹部が考える社業とトーナメントの親和性とは?

ゴルフと関係ないからこそビジネスチャンスがある

ギャラリーの満足度は常に強く意識している
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 青木功、尾崎将司、中嶋常幸のAONが爆発的な人気を得る前のこと。実は日本にゴルフブームをもたらした始まりは、1957年に開かれた「カナダカップ」だとされる。後の「ゴルフ・ワールドカップ」の前身であるカナダカップは、カナダ人実業家のジョン・ジェイ・ホプキンスが呼びかけ、53年にモントリオールの「ビーコンスフィールド・カントリークラブ」で開催されたことに由来する。ペアマッチの団体戦として始まった。

 その5回目のカナダカップが日本の霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催され、小野光一とコンビを組んだ中村寅吉が優勝してゴルフブームに火をつけた。おまけに中村寅吉は個人戦でも優勝。このとき日本テレビが日本で初めてゴルフ中継に挑戦し、中村の名声が全国に轟(とどろ)いた。ちなみにワールドカップはその後、コンピューター関連企業の米EMCや時計メーカーのオメガなどが冠スポンサーとなって開催され、2013年からは国際スポーツ振興協会会長の半田晴久を冠した「ISPSハンダワールドカップゴルフ」として受け継がれているのは、ご承知のとおりだ。

 このカナダカップの日本開催以来、トーナメントの機運が高まり、ゴルフ関連企業やテレビ局が冠スポンサーとなってツアーが催されていくのだが、ゴルフに無縁の洋酒メーカーのサントリーは、いわば異質の冠企業だった。

 もっとも、ゴルフと関係のないスポンサーだからこそ、これまでにないビジネスチャンスがある。創業家の副社長として鳥井道夫はそう考え、サントリーオープンをスタートさせたという。平たくいえば、アマチュアゴルファーやゴルフファンにウイスキーやビールの愛好家になってもらう、というマーケティング戦略の一環として、トーナメントの冠スポンサーになったわけである。

 一方、高度経済成長期の男子トーナメントに続き、1990年に始まったサントリーレディスは、まさに日本が米国から内需の拡大を迫られ、国民の大消費時代に入った時期と重なる。やがてバブル経済の崩壊とともに、「失われた20年」と揶揄(やゆ)されるようになるが、半面、それは日本経済全体が成熟期に入っていった端境期だったともいえる。

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