森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント サントリーレディスオープン「宮里藍、国内最後の舞台」(4)

サントリーはツアーだけでなく、コースやクラブメーカーまでゴルフに深くかかわってきた

日本ツアー立ち上げ時からのオリジナルメンバーとして男子のサントリーオープンを主催したサントリー。一時は女子のサントリーレディスオープンとともに、男女両方のツアー競技を持っていた。この事実だけでも、ゴルフに深くコミットしてきた企業といえるが、それだけではない。企業の多角経営が流行した時代にはゴルフ場を国内に二つ所有し、さらに飲料メーカーでありながら、クラブメーカーまで傘下に収めていた。

円高を利用してマグレガージャパンを買収

90年サントリーオープンの表彰式で挨拶する鳥井道夫
90年サントリーオープンの表彰式で挨拶する鳥井道夫 【拡大】
 2007年、35回で幕を閉じた男子のサントリーオープン。サントリーには、冠スポンサー企業として日本にゴルフトーナメントを根づかせたという自負があるように感じる。サントリーは男子トーナメントを開催するこの間、一方でゴルフ用品の製造・販売まで手がけてきた。それが「マグレガーブランド」だ。

 きっかけは1979年。米国本社のマグレガー社が日本に「マグレガーゴルフジャパン」という子会社を設立。それから5年後の84年、サントリーが日本法人の株式のうち75パーセントを取得し、経営に乗り出した。米国本社から日本と韓国における販売権を譲り受け、マグレガーブランドを売り出したのである。

 84年といえば、折しも米国の対日貿易赤字が膨らみ、日米の経済摩擦が顕著になっていた時期だ。レーガン政権がドル安・円高の為替政策を誘導した、いわゆる85年9月のプラザ合意の前年に当たる。周知のようにここから円は1年間で、1ドル235円から150円台という急騰を見せた。その後、円高不況を懸念した日本銀行は、金融緩和、低金利政策に舵(かじ)を切り、それがバブル経済を招く結果になる。

 サントリーはいわば円高を利用し、マグレガージャパンを買収したともいえた。主導したのが、ゴルフ事業を手がけてきた創業家の副社長、鳥井道夫だ。前回で書いたとおり、自ら「日本ゴルフトーナメント振興協会」(GTPA)を設立し、理事長に就くほどゴルフ事業に熱を入れてきた。86年の第14回サントリーオープンに帝王、ジャック・ニクラスを招聘(しょうへい)したのも鳥井だとされる。

 三段ロケットと称された、その帝王の弾道を生んだ名器がマグレガー製クラブであり、鳥井はニクラスとの縁からマグレガージャパンの買収に乗り出したという。マグレガーはやがて日本発ゴルフブランドとしても定着し、鳥井本人もマグレガージャパン会長として経営の指揮を執った。

 そのマグレガージャパン製クラブの中でとりわけ人気だったのが、92年に新たに開発した〈マックテック〉シリーズだ。サントリーコミュニケーションズ社長の山田眞二が、こう振り返った。

「サントリーはサントリーオープン、レディスオープン、マグレガーゴルフジャパンといった事業を進めただけではなく、ゴルフ場の開発も手がけました。昇仙峡CC(山梨県甲斐市)と響の森CC(群馬県高崎市)という2コースを経営してきました。ゴルフ事業は、いったんそこまで広げました」

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