森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント サントリーレディスオープン「宮里藍、国内最後の舞台」(1)

所属先であるサントリーの社員でさえ、宮里藍の引退を知ったのは発表直前だった

2017年9月のメジャー最終戦、エビアン選手権を最後に、惜しまれつつ現役を引退した宮里藍。その宮里がホステスプロであり、国内最後の舞台となったのがサントリーレディスオープンだ。華やかなトーナメントの裏側で、大会を成功に導くべく奔走する企業人の姿を活写する連載の第7弾は、「見納めかもしれない藍ちゃんに会いたい」というファンの思いが会場を満たした昨年度大会の裏側に迫る。

3年連続ベストアマの縁で、宮里とプロ入り直後に契約

昨年のサントリーレディスで72ホールのプレーを終え、ギャラリーに手を振る宮里藍
昨年のサントリーレディスで72ホールのプレーを終え、ギャラリーに手を振る宮里藍 【拡大】
 宮里藍はプロ転向した翌年の2004年3月、いきなり開幕戦の「ダイキンオーキッドレディス」を制し、注目を集めた。さらに所属プロとして迎えた6月の「サントリーレディスオープン」で、2位に6打というぶっちぎりの差をつけて優勝し、こう歓喜の声を上げた。

「大勢の人を見て、ワクワクして、いい予感がしていました」

 それから13年の歳月を経た昨年6月のサントリーレディスでは、2アンダーの26位タイに終わった。その最終日、宮里は優勝したキム ハヌルに続いて特別にスピーチした。

「今日は朝からヤバかったです。最後に18番でパーパットを打ち切った後は、そこまで抑える必要はないと思ったので、解放したら感情的になった感じです」

 引退を表明していた宮里は、笑いと涙を誘った。彼女にとっての国内最終戦となったのが、昨年の第27回サントリーレディスである。

 サントリーのゴルフトーナメントといえば、男子の「サントリーオープン」が、その嚆矢(こうし)となった。ツアー制度施行初年度の1973年にスタートし、07年まで続いた名門トーナメントだ。その男子に続いて、バブル経済のピークだった90年に始まったのが、サントリーレディスである。

 第2回の村口史子や第11回の服部道子、第15回の不動裕理……。すでに27回を数えるトーナメントでは多くの人気プロが優勝し、話題をさらってきたが、中でも最も盛り上がりを見せたのが、宮里藍の登場だった。アマチュア時代から活躍してきた宮里は03年、日本人初の高校生プロになり、翌年から本格的に国内女子ツアーに参加。「藍ちゃん」ブームを巻き起こした。現在の女子プロ人気の火つけ役であることは、誰もが認めるところだろう。

 その宮里をアマチュア時代から見いだし、いち早く所属プロとして迎え入れてサポートしてきたのがサントリーだ。サントリーグループでスポーツイベント等を含む宣伝部門を担う「サントリーコミュニケーションズ」社長の山田眞二に、東京・台場の本社で会った。

「宮里選手とサントリーの関係は古いですよ。サントリーレディスそのものが、アマチュア育成の場として力を入れてきました。それもあって彼女がまだ中学3年生だった00年のサントリーレディスで史上最年少でのプロツアー予選通過、その後01年から3年連続ベストアマを獲得。強い縁を感じ、03年10月にプロ転向を宣言されてすぐに所属契約を結びました」

 山田はそう話した。足掛け17年のつき合いだという。引退を発表する前の5月19日のこと。当の宮里が、台場のサントリーコミュニケーションズ本社へ挨拶(あいさつ)にやって来たという。

「スポーツ関連の業界で、宮里選手がそろそろ引退するのではないか、という噂(うわさ)はありました。今季(2017年)の日本ツアー開幕から国内で試合をされていたので、そういう噂が出たのだと思うんです。ただ、それはあくまで噂でしたので、あの時点ではまだ誰も知りませんでした」

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