あの頃ワタシは若かった 昭和の履歴書 女子プロ編 vol.17 最終回 -小林浩美-

最初のプロテストで慢心し合格までに4回も受験

プロテスト合格から3年目の24歳
プロテスト合格から3年目の24歳 【拡大】
 研修生になって1年半でプロテストを受験したのだが、そのために紹介された女子プロが石﨑越子。一緒にラウンドしたりするうちに、石﨑が所属する女子プログループ「葉美会」と縁ができた。女子のゴルフを初めて目の当たりにし、驚いたのはこのときだ。

 葉美会には当時最強を誇った樋口久子もいた。さすがに名前だけは知っていたが、「よく分かってないから恐れおののくこともなかった」と笑う。

 初めてのプロテストは、最後のハーフを39で回れば合格だったが41で落ちた。だが、これで慢心が生まれた。「『あ、こんなもんか』と、緩さが出ちゃったんです」。そのため2回目、3回目も不合格。「(中島)先生に『3年でプロになんなきゃ、プロになってもモノにならん!』とハッパを掛けられて尻に火がついて、『モノにならないんじゃイヤだ』と思って真剣味が増したんでしょう」と“改心”。4回目の受験となった84年秋、ブッちぎりでトップ合格した。

「なかなか当たらなくてイヤになったことはあっても、やめようと思ったことはない。最初から他の人に比べて劣るとは思わなかった。人より飛んだからうれしかったし、自信が持てた」と、思い出す研修生時代。好奇心と「上位にいきたい」という向上心を持ち続け、米ツアー常駐、5勝の実績を残すことになった。
私の金言
「シンプル・イズ・ベスト」

「いいものって無駄がそぎ落とされている。そう思い当たったのは、米女子ツアー(90年から13年間)に行ってからです。より強いフィールドで苦労しましたが、その合理性や効率性を見ました。その結果、何でもそぎ落とされたシンプルなものが一番いいと思うようになったんです」(小林)

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