あの頃ワタシは若かった 昭和の履歴書 女子プロ編 vol.17 最終回 -小林浩美-

ゴルフも社会人の常識もコースで学ばせてもらった

「プロテスト合格直後の試合かな」と小林(中央)
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 アクシデントで始まったゴルフだったが、早速「ちょっと面白い」と興味を示し、研修生生活が始まった。

 師匠の紹介で下宿し、週4日はキャディの仕事をしながら練習し、あとの3日は練習に専念する環境。師匠が試合に出ていていないときは、コース所属のプロが指導してくれた。「ゴルフもそうだし、社会人としての経験もない。だからここで全部教えてもらいました。優しいキャディさんに仕事の仕方を教えてもらったり、メンバーさんに育ててもらいましたね」と振り返る。

 もちろんその一方で、ゴルフに熱中した。グリップ、アドレスを教えられ「スタンスは広く、軸は動く。とにかく飛ばせ」と、最初からドライバーでスイングを作る方針の師匠の教えを守り、ドライバーをブンブン振り回した。飛距離が出るから面白い。芝の上から練習できるし、コースも回らせてもらえる。ソフトボールで鍛えた体力があり、誰よりも練習量をこなすことができた。

 早朝、走ってハーフを回ってからキャディをしたり、練習をしたり。夕方もうハーフを回ることもあれば、パットやアプローチの練習をすることもあった。早朝のラウンドにはバッグ係をしていた「たかおちゃん」というおじさんがつき合ってくれた。

 師匠の教えで、もう一つハッキリと記憶しているのが「フィニッシュで3秒止まれ」というもの。最後までしっかり振り切れ、というだけではない。「フィニッシュをしっかりとれば、ミスショットをしても相手に分からない」という意味もあるという。師匠の仲間である関水利晃や佐藤正一ら男子プロと一緒に回ることも多かったため、小林にとっては男子のゴルフが指針になっていた。道路を挟んだ向かいはアジアサーキット最終戦・ダンロップ国際の舞台となっていた茨城GC。同大会のマンデートーナメントに出場した中島のキャディをしたこともある。それだけに、後に女子プロと初めてプレーして、あまりの違いにびっくりしたほど、ダイナミックなゴルフを身につけていった。好奇心旺盛な性格も幸いし、みるみる腕を上げた。初ラウンドとなった従業員コンペは113だったが、半年でハーフ45を切るまでになった。1年でハーフ30台。「たった一人だった研修生を、みんなが育ててくれたんです」と周囲に感謝する研修生時代だった。

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