あの頃ワタシは若かった 昭和の履歴書 女子プロ編 vol.17 最終回 -小林浩美-

テレビ中継がつまらなくて寝てしまったゴルフに、球を打つうちに熱中しだした

ゴルフを知らないままプロを目指し始めた

常陽CCでの研修生時代。どっしりとした下半身はこのころからだ
常陽CCでの研修生時代。どっしりとした下半身はこのころからだ 【拡大】
 得意な科目は倫理社会。不得意なのは物理だったが、数学は好き。3年生では国立理系クラスを選択したが、夏の大会まで部活を続けてもいた。自分の実力を早めに悟り「体育教師なら何とかなるかな」と、共通一次試験を受験。筑波大学を目指したが合格できず、早稲田大学教育学部も不合格となってしまった。

 失意の娘にゴルフを勧めたのは父だった。勝さんはシングルプレーヤーで、県大会優勝の経験も持つため、自宅の玄関にはいつもゴルフバッグが置いてあった。それを横目に見ながら、娘は興味を示すことはまったくなかった。高校3年で部活を引退したときにも「ゴルフをやれ」といわれたが、聞き流していたほどだ。だが、受験に失敗したときに心が動いた。「手に職をつければいい。人に教えられるくらいうまくなればいい」と、プロになる道を示唆されたからだ。浪人する気だった娘は「実は最初はゴルフしながら勉強できるかな、と思ってた。二股かけるつもりだったの」と打ち明ける。そんな軽い気持ちでゴルフを始めることにした。
 実は、弟子入りが決まってから、テレビでトーナメント中継を見たことがある。このときは「打って、ボールを拾って、また打って。何だか分からないし、つまんなくて寝ちゃった」という。「ゴルフが何だかよく知らないままプロを目指したんです」と苦笑するが、それがすべての始まりだった。

 父の知人だったプロ、中島弘二を紹介され、研修生として常陽CCに入社したのは5月ごろだった。父に伴われ、クラブを持たないどころか、運動するんだからとジャージー姿でコースに行こうとするほどゴルフを知らないまま師匠と初対面。ドライバーを折る事件は、そのときに起こしている。

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