あの頃ワタシは若かった 昭和の履歴書 女子プロ編 vol.12 -涂阿玉-




給料10カ月分のクラブ代金を母は黙って用意してくれた

母が買ってくれたスポルディングのフルセット。それがいかに高価な物であるかは、本人が一番分かっていた。今回は台湾から日本企業のオーナーに見いだされ、スーパースターとなった「ピンクパンサー」こと涂阿玉の物語。
日本女子オープン初制覇(1983年)。史上初の外国勢チャンピオンだった
日本女子オープン初制覇(1983年)。史上初の外国勢チャンピオンだった 【拡大】
涂阿玉(ト・アギョク)
0歳 1954年9月29日、台湾・豊原市に生まれる
12歳 自宅近くにゴルフ場がオープン
13歳 キャディの姉を追うように、
キャディのアルバイトを開始。
初めてボールを打ち、練習も始める
15歳 ゴルフ場の研修生となる
16歳 プロゴルファーを目指して師匠の指導を受け始める
19歳 初めて日本の試合にアマチュアとして出場。
台湾でプロテストに合格(LPGA入会は1981年)
………………………………………………………………………
20歳 東海クラシックでツアー初優勝
ツアー通算69勝(うち、LPGA入会前11勝)
1982~86、89、91年賞金女王

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