
2016年11月。服部道子は米国テキサス州オースティンに降り立った。25年ぶりの母校・テキサス大学オースティン校訪問だ。目的は、ゴルフ部のOG会参加。当時のコーチ、パット・ワイツ女史、現在コーチを務めるチームメートのケイト・ゴールデンらと旧交を温め合った。「みんな変わっていなくて。時を越えてあのころに戻った感じがしました」という時間を過ごした。テキサス大学留学のきっかけをつくってくれたトム・カイトとも話すことができた。脳裏に、濃密だった4年間がよみがえった。
1968(昭和43)年、服部は愛知県で生まれた。母の紘子さんは62年日本女子アマ優勝者(旧姓・松波)。長女・道子は体が大きく運動好きな少女としてすくすくと育った。愛知郡日進町(現日進市)の自宅周辺はのどかな田園地帯で、野山を駆けずり回るような子供だった。
ゴルフとの出合いは小学4年生の夏休み。導いてくれたのは母方の祖父である平澤好昭さんだ。ただし、祖父にも母にも教わることは一度もなく、最初からプロに基本を教わった。1年間はひたすら練習場通い。ルールやマナーも含めて、上達しないとコースには出られない。周囲がおじさんばかりという環境はイヤだったが、母のクラブを短く切ったハーフセットで練習をした。「最初は思いきり打っても80ヤードの山を越すことができませんでした」というスタートだった。
1968(昭和43)年、服部は愛知県で生まれた。母の紘子さんは62年日本女子アマ優勝者(旧姓・松波)。長女・道子は体が大きく運動好きな少女としてすくすくと育った。愛知郡日進町(現日進市)の自宅周辺はのどかな田園地帯で、野山を駆けずり回るような子供だった。
ゴルフとの出合いは小学4年生の夏休み。導いてくれたのは母方の祖父である平澤好昭さんだ。ただし、祖父にも母にも教わることは一度もなく、最初からプロに基本を教わった。1年間はひたすら練習場通い。ルールやマナーも含めて、上達しないとコースには出られない。周囲がおじさんばかりという環境はイヤだったが、母のクラブを短く切ったハーフセットで練習をした。「最初は思いきり打っても80ヤードの山を越すことができませんでした」というスタートだった。