あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.32 -高松厚-

研修会優勝の賞金でミルク代を稼いだ

「研修会に入ってみると、研修生がものすごい人数いることを知りました。プレーするコースもゴルフ場連盟の研修生と違って千葉県だったり、埼玉県だったり。まずBクラスから始め、準A、Aとあったと思うんですが、半年で8回ある研修会で好成績を出さないとAクラスに上がれない」

 過酷な状況の中、高松は座右の銘にまでなる「諦めません勝つまでは」の精神で研修会を突破していく。「8回の研修会のうち6回優勝し、すぐAに上がれました」。プロテスト受験資格のあるAクラスの上位、20~30人の域まで、その後半年で到達している。

「当時、練習場の給料が7万円。研修会で優勝すれば賞金が15万~20万円出るわけです。プレッシャーはありましたけど、家族がいることがモチベーションになりましたね」

 28歳で初めて挑んだ静岡県・下田でのプロテストはOBが出て失敗。義理の両親と約束した期限の20代最後の年が、とうとうやってきてしまった。3歳の女の子、生後半年の男の子のパパとなって迎えた秋のプロテストが、ラストチャンスだった。

 このプロテストの注目度が、またすごかった。怪物・川岸良兼が受験するとあって、信楽CC(滋賀県)には報道陣が殺到。その中で高松は冷静に、「ゴルフがよかったから今回は絶対受かる」との確信を現実のものとした。大きなミスもなく最後のチャンスを物にして、結婚するときの約束を果たしてのプロテスト合格。4年間の研修生生活にもピリオドが打たれた。

 今、高松はシニアプロで構成されたバンド「ゴクローサンズ」を率いる。59、60年生まれの「5960(ゴクロー)会」に属する奥田靖己、中西信正がギター、加瀬秀樹がボーカル、芹澤信雄がタンバリン。MCが髙見和宏。ドラムはもちろん高松だ。

「3年くらい前に奥田が家に遊びに来たとき、ギターを弾いたことがあるっていうから歌本を引っ張り出して僕がピアノを弾いてセッションやったの。山口百恵の『いい日旅立ち』とか。なんだ、できるじゃん、っていうのがバンド結成のきっかけです」

 プロ合格時、最も喜んでくれた父はもういない。3年前の11月29日、膀胱(ぼうこう)がんで1年間の闘病の末、天へと召された。しかし、音楽もゴルフも一緒に楽しんでくれ、「仲間のような存在」だった父のDNAは、「年を取ってもできる音楽をやろう」と人生をエンジョイしている高松に、しっかりと受け継がれている。
私の金言
「20代のうちにプロになれなかったらサラリーマンをやりますから結婚させてください」

 研修生だった高松が恋人の両親へ向かって、結婚の承諾を願い出たときの言葉。プロテストに受かるかどうかも分からない自分を信じてもらおうと、自ら誓ったタイムリミットだった。すぐに子宝にも恵まれ、人生の順序が逆になったが、それをモチベーションにできるのが高松のスゴさ。期限ぎりぎりでプロ入りを果たしたのだ。

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