あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.32 -高松厚-

音楽同様、うまくなればプロになれると思い込んでいた

父が練習場を造って後押しをしてくれた

自宅アパートにて(右が高松)。長髪なのが当時の音楽シーンを感じさせる
自宅アパートにて(右が高松)。長髪なのが当時の音楽シーンを感じさせる 【拡大】
 それでも高松は諦めなかった。「ゴルフってこんなに面白いんだ」という思いは強まるばかり。「体もきゃしゃだったんで、走り込みや腹筋、プッシュアップもよくやりました」。高松が「しまった」と思ったのは、このころだ。「調べてみると、プロになるには大変なのが分かったんです。音楽同様、うまくなりさえすればプロになれると思い込んでいましたから」。ところが実際は、プロ予備軍たちによる研修会があって、そこを勝ち上がって、やっとプロテストが受けられる。決して生易しい道ではない。

 しかし、後押しをしてくれる男が一人いた。父だ。「おまえもやるなら、練習場をやろう」と、奥行き200ヤードのドライビングレンジに9ホールのショートコースも併設した練習場を造ってくれたのだ。これには練習場連盟の研修生になるためという目的もあったのだが、そのとき初めて高松は研修生制度を知った。「まあ、そういう現実を知らなかったからこそ、プロになろうと思えたわけです(笑)」。

「知らない者の強み」を発揮していたころ、高松はもう一つの「強み」も発揮していた。「やれることからやっていく」という高松独自の人生観が、この時期遺憾なく発揮されるのだ。

 研修生になる前、ゴルフ漬けの毎日を送るうち、息抜きの場として通い詰めていた喫茶店。そこに「好みのタイプ」の女性がいた。しかし、相手はサラリーマン家庭の一人娘。「絶対プロになります。20代のうちにプロになれなかったらサラリーマンをやります」と相手の両親に宣言し、許しをもらった。

 すると、すぐ子供が生まれる。「順序が逆ですよね。でも、できることからやっていくのが大事です。プロになるのは難しいけど、結婚や子供はすぐにでもできる(笑)」。無計画で行き当たりばったりの人生のようにも思えるが、自ら退路を断った高松の、鬼気迫るチャレンジが始まった。

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