森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント フジサンケイクラシック&フジサンケイレディスクラシック「メディアの看板トーナメント」(4)


テレビ向きのホールを最終ホールに変更するよう4カ月かけて説得した

「フジサンケイクラシック」は当初、産経新聞が主催者になっていたが、途中からフジテレビへと変更された。それはメディアの中心が新聞からテレビに移ることを見越してのことだが、それだけに、大会を放送するに当たって、大会をテレビ映えするものにするための細部へのこだわりは強かった。その陣頭指揮を執ったのが、当時、編成局長であった日枝久とダンロップの社員としてトーナメント運営に当たっていた戸張捷である。

選手の向こうに海が抜けて見えるのは川奈しかない

通常営業時は17番となっているホールを決着の舞台とする決断も常識破りだった
通常営業時は17番となっているホールを決着の舞台とする決断も常識破りだった 【拡大】
 男子のフジサンケイクラシックは、1981年の第9回大会から2004年の第32回大会まで、24回にわたり静岡県伊東市の川奈ホテルゴルフコースで開かれた。トーナメントの場を東松山カントリークラブから川奈に移すに当たり、主催者をそれまでの産経新聞からフジテレビに変更したのが、間もなく2代目議長に就任する予定だった鹿内春雄である。

 鹿内は近い将来、マスメディアの中心が新聞からテレビに移ると考えた。そのために冠スポンサーとして、プロゴルフトーナメント充実を図ったといえる。実働部隊として、それを支えたのが、当時、まだフジテレビの編成局長だった日枝久(現・フジサンケイグループ代表)やトーナメントプロデューサーの戸張捷たちだ。伊豆半島の風光明媚(めいび)なコースをバックにプレーする姿をテレビ画面に映し出せば、これまでの日本にない名物トーナメントとして人気が高まる、と考えたという。

「当時はホテルがあって海があって、というようなコースは日本にはありませんでした。宮崎のフェニックスは海辺にあるけど、選手の向こうに海が抜けて見えるという絵面を撮れるコースは川奈しかない」

 戸張がそう説明してくれた。日本で初めてコース設定にまで注文を出したという。

「トーナメントはあくまでスポーツイベントの一つなので、最後の締めくくりが大切です。それで、富士コースの本来の17番を最終ホールにしてください、と川奈に提案しました。18番は狭くて短くて難しいうえ、グリーンの周りにギャラリーが入らない。それが17番グリーンの後ろに観覧席を造ると、選手がティショットから400ヤードを打ち上げてくるその向こうに海が抜けて見える。テレビでそれを撮れば絵になる、と申し出たのです。むろん設計者の手前もあるし、最初は困る、と断られました。だが、テレビで放送するときは、それが大事なんです、と粘り強く4カ月くらいかけて交渉し、最終ホールに設定してもらいました」

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