森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント フジサンケイクラシック&フジサンケイレディスクラシック「メディアの看板トーナメント」(3)


「宝のようなコースを世に知らしめる」その熱意で1年半かけて口説き落とした

以前は「フジサンケイクラシック」、現在は「フジサンケイレディスクラシック」を開催する川奈ホテルゴルフコースを知らないゴルファーなど、ほとんどいないだろう。しかし、情報の少ない時代、トーナメントの開催コースになるまでは、一般のゴルファーにはあまり存在が知られていなかったという。いわばフジサンケイグループが世界に誇れる宝を世に知らしめたわけだが、コース借用の交渉は簡単ではなかった。

経済界の夢を実現させたお祭りをしよう

眼下に太平洋を望む川奈ホテルゴルフコース富士コース15番(トーナメントでは14番として使用)
眼下に太平洋を望む川奈ホテルゴルフコース富士コース15番(トーナメントでは14番として使用) 【拡大】
 フジサンケイクラシックは、本戦の“前夜祭”としてスポンサー企業が営業活動に利用するプロアマ大会を始めた草分けでもある。グループ2代目議長に就くに当たり、鹿内春雄は1981年、東松山カントリークラブから川奈ホテルゴルフコースに開催地を移そうとした。それは、川奈がゴルフイベントを通じた財界活動に最も適しているコースと考えたからでもあった。現在のグループ代表である日枝久は、そんな2代目議長の意をくんで川奈ホテルの経営母体である旧財閥系の大倉商事に日参した。

「世界の名門、川奈でトーナメントをやろうとしたとき、鹿内春雄は『財界人がゴルフを通じて集まろう、経済界の夢を実現させたお祭りをしよう』と話していました。その舞台として川奈を選んだ。おかげで、平日のプロアマにもかかわらず(平和相互銀行元社長の)小宮山英四郎さんや(キッコーマン元社長の)茂木(啓三郎)さん、ヤクルト(本社社長)の松園(尚巳)さんなど、錚々(そうそう)たる顔触れに参加していただきました」

 ゴルフ事業における日枝のパートナーが、ゴルフキャスターの戸張捷(71)だ。前回で書いたとおり、戸張は73年の第1回フジサンケイクラシックのときからトーナメントにかかわっている。

「第1回のころ、私はまだ27歳でダンロップのスポーツ課の一社員でした。米国ではアーノルド・パーマーが野球のベーブ・ルースのように国民的なヒーローになっていて、多くの人がパーマーを見たくてトーナメントの観戦に詰めかけていた。一方、当時の日本には、まだテレビの生中継もなかった。それで米国のようなブームを日本にも持ち込めないか、と考えたのです」

 自らがかかわった経緯についてあらためて尋ねると、戸張はそう記憶の扉を開いてくれた。

「他のテレビ局ともいろいろ話をしました。だが、なかなかドアが開かない。それでフジテレビなら、と半ば動物的な勘で、産経新聞の事業部に提案しました。するとOKが出て、初代議長の鹿内信隆さんに説明してくれ、となったのです。議長室に入ると、役員たちのはるかかなた、10メートルくらい離れたところに信隆さんが座っていました。『ゴルフってどんなもんだい?』なんて調子で聞いてくる。で、説明するとあっさり『じゃあ、やってみたらいいだろ』とおっしゃった。そのひと言をよく覚えています」

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