森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント フジサンケイクラシック&フジサンケイレディスクラシック「メディアの看板トーナメント」(1)


日枝は、大会期間中の川奈ホテルで、経営方針や役員人事を練るのが常だった

華々しいトーナメントの舞台裏で戦う企業人の姿を活写する好評連載の第5弾。今回からは「フジサンケイクラシック」「フジサンケイレディスクラシック」と、男女ともに大会を主催するフジサンケイグループを取り上げる。テレビをはじめとするメディア企業がトーナメントを主催することは珍しくないが、冠スポンサーをつけず、自らの看板のみで行うことはまれだ。その意味するところとは?

自らの会長退任を内示したその日にインタビューに応える

自らの会長退任を含む役員人事を言い渡す直前にインタビューに応えた日枝久だったが、そんな様子はおくびにも出さなかった
自らの会長退任を含む役員人事を言い渡す直前にインタビューに応えた日枝久だったが、そんな様子はおくびにも出さなかった 【拡大】
 日枝久は、1988年から2001年まで13年もの間社長を務め、社長を退いてからも今年の6月に至るまで、16年にわたって会長として、フジテレビを率いてきた。テレビ局を中核とする持ち株会社フジ・メディア・ホールディングス(HD)のトップであり、読売新聞の渡邉恒雄と比肩される日本メディア界の大立者である。

 4月の「フジサンケイレディスクラシック」と9月の「フジサンケイクラシック」という男女のプロゴルフトーナメントを続けてきた当人のインタビューが実現したのは、今年5月8日のこと。くしくも、社長をはじめとしたフジ・メディアHDの役員人事を一新し、自ら会長を退くことまで決め、メディア界が騒然とした前日に当たる。

「パーゴルフで森さんのインタビューを受けたのは、まさに役員に言い渡した内示の日でしたからね。あの時点ではまだ誰にも話していなかったし、質問されたらどうしようか、と実は内心ひやひやしていたんですよ」

 後日会った日枝は、そう笑いながら振り返った。インタビューしたそのすぐ後、日枝は社長以下、重役たちに人事を言い渡したという。インタビューで日枝はそんなことなどおくびにも出さず、悠然と私の質問に答えた。

 ――男子プロのフジサンケイクラシックの始まりは1973年、埼玉県東松山市の高坂カントリークラブで開催された第1回「BVD杯フジサンケイトーナメント」にさかのぼる。そもそもテレビ局がゴルフトーナメントを始めた理由は何だったのか。

「フジサンケイクラシックを始めたころ、日本のメディアの中心はあくまで新聞でした。そこに対抗する形で、テレビでゴルフトーナメントを広げようではないか、と(フジサンケイグループ議長の)鹿内信隆が発案したのです。といっても、当時はテレビ局主催のトーナメントに使わせてくれるような名門クラブなんてない。そこで鹿内の友人である住友銀行の堀田庄三さんに頼んだ。鹿内と堀田さんは同じ干支(えと)生まれのイノシシ会という集いを開く仲で、電話一本で住友系の高坂カントリーを貸してくれることになったそうです。昔の経済界の人は芝の上の交渉というのも多いでしょ。それで鹿内も、ゴルフが嫌いではなかった。社内でも年に一度、軽井沢でグループの役員コンペを開いて、新任の役員が鹿内さんとラウンドしていました。スコアが悪いと、『おい、視聴率はゴルフみたいになるなよ』と、手厳しいことをいわれたもんです」

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