森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ヨコハマタイヤ PRGRレディスカップ「トーナメントのロマンとリアリズム」(2)

開催4年目の2011年、大会初日は3月11日だった

華々しいトーナメントの舞台裏で戦う企業人の姿を活写する好評連載の第4弾、「ヨコハマタイヤゴルフトーナメント PRGRレディスカップ」は、現・横浜ゴム会長の南雲忠信が社長時代から肝煎りの事業として10年間続けてきた。しかし、その10年は決して順風満帆ではなかった。中でも大きな出来事だったのが2011年の東日本大震災だ。大会初日をあの災厄が襲ったのだ。

後発ゴルフメーカーとして独自のブランド戦略をとった

2011年のPRGRレディスが東日本大震災の影響で中止となり、沈痛な面持ちで大会事務局の説明を受ける女子プロたち
2011年のPRGRレディスが東日本大震災の影響で中止となり、沈痛な面持ちで大会事務局の説明を受ける女子プロたち 【拡大】
 多くのタイヤメーカーがそうであるように、横浜ゴムがゴルフ用品の製造販売を手掛けるきっかけも、ボールづくりだという。糸巻きボールだ。ただしトーナメントと同じく、同業他社に比べて進出が遅かった。1983年のことだ。いきおい他社にない強みが欠かせない。

「たとえばそれまでゴルフ業界のなかには、ヘッドスピードという概念がありませんでした。それを新たに導入したのが、プロギアでした。そこからクラブヘッドやシャフトの開発へ。『ゴルフにサイエンスを』というキャッチフレーズを使って、製品を売り出しました」

 そう語るのが、横浜ゴム会長の南雲忠信だ。2008年からスタートし、今年で10年目を迎えたPRGRレディスカップ大会会長で、トーナメントの生みの親である。横浜ゴムがゴルフ事業に乗り出した時期は、高度経済成長が一段落したバブル前夜。ゴルフ市場が急速に広がると考えられていた、と南雲が続けた。

「私がまた平塚工場の設計開発部門で課長になったかどうか、という時代のことです。ウッドがパーシモンからメタルや樹脂に代わっていった。そんななか、うちはたまたま航空機に使うカーボン繊維を開発してきた技術の蓄積がありました。それでシャフトもスチールからカーボンへとユーザーがほしがるような製品を開発してきました。それがあたった。黒チタンとか赤チタン、タラコとか、そういう販売の企画もうまくいった」

 まさにゴルフの新規事業には絶妙のタイミングだったといえる。プロギア製品はいっさい値下げをしない、という販売戦略を立てたことも奏功した、と話した。

「ゴルフがこれから、といういい時代ですからそれができたのですが、プロギア製品を置く店もデパートなど、しっかりしたところに限定し、安売りはしないという高級戦略で売ってきました。仮に店から新製品が返品されても、すべて廃棄して市場には出さない。だから値引きもないのです」

 ゴルフ業界への恩返し、というトーナメントを始めた理由については前回で書いたが、半面、南雲には、いい時代の流れに乗ってゴルフ事業を展開できたという実感もあるのだろう。プロギアと契約したブライアン・ワッツや小林浩美などのツアーでの活躍も後押しし、プロギアの製造販売は90年代に入ると、瞬く間に100億円規模の事業に発展し、ピークを迎えた。

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