10年目の節目を迎えた今年の大会はプレーオフの末、全美貞が制した
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「6年ほど前でしょうか、マスターズのオーガスタ(ナショナルゴルフクラブ)に行ったのは。ものすごくきれいなグリーンに圧倒され、クラブハウスに入ると歴代優勝者のロッカーがありましてね、ついトイレの中のスナップまでカメラに収めてきました。興奮しましたね」
まるで少年のように目を輝かせながら屈託なく笑うのは、横浜ゴム代表取締役会長の南雲忠信(70)だ。最終ラウンドで67というスコアをたたき出したものの、11位タイに沈んだ松山英樹の今年のマスターズが終わった。南雲はゴルフ好きの企業経営者の中でも、とりわけプロゴルフトーナメントに理解を示す。1947年2月12日、新潟生まれ。信州大学工学部を卒業して69年に横浜ゴムに入社した技術系の経営トップである。「ヨコハマタイヤゴルフトーナメント PRGRレディスカップ」は、南雲をおいてほかに語れない。ダイヤモンドカップゴルフの前身が住友ゴム工業のダンロップトーナメントだったように、自動車やタイヤメーカーがゴルフトーナメントの冠スポンサーとして大会を運営するケースは昔から数多い。文字どおり自動車とタイヤは不可分の関係にあるからだろう。
ただし、横浜ゴムのPRGRレディスカップは、日本のプロゴルフトーナメントとしては、最後発に近い。2008年からスタートし、今年3月の大会で、まだ10年目を迎えたばかりだ。折しも今年100周年を記念する老舗タイヤメーカーなのに、どうしてそれまでトーナメントを主催してこなかったのか。遅ればせながら10年前にトーナメントを始めたきっかけは、どこにあるのか。まずは、そこからインタビューを進めた。
「きっかけは、私が社長になって計画した横浜ゴム100周年に向けたグランドデザイン100でした。社長に就任したのが04年で、06~17年の100年目までの12年間の長期ビジョンのうち、最初の06~08年の中期経営改革を第1フェーズと位置づけ、何かやろうとした。きれい事ではなく、企業は自分のところの利益だけを追い求めればいいというわけではありません。社会貢献しなければ存在意義がない。そこで、まずは当時、盛んにいわれていた地球温暖化対策として、工場の周りに木を植えようと考えました。そこからです」