あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.16 -渡辺司-

甲子園に出場! 将来は調理師が目標

 高校球児。それも甲子園出場経験を持ち、後にゴルフに転向したのが渡辺司だ。勧めたのはスポーツ新聞のゴルフ担当記者だった父・司郎氏(故人)だった。

「父は、僕が中学生くらいのころからゴルフをやらせたがっていたんです。でも、野球が大好きな僕は『巨人の星』を見て甲子園に行きたいと思っていた。周りにゴルフをしている子もいないから、友達と遊べなくてイヤだと思って見向きもしなかった」と渡辺はいう。甲子園出場の可能性がある学校を探して、日大一高に進学。「毎日が団体イジメみたいなものでしたよ」という厳しい練習に耐えた。

 目標だった甲子園には1973年の春、夏と続けて出場することができたが、その先、プロ野球選手になることは考えなかった。「甲子園がゴール。開会式に出ると強豪校のオーラは全然違うんだってよく分かったし。江川(卓)さんとか掛布(雅之)さんとかを見て『すごいヤツは立ってるだけですごいんだな』って感じたからね。僕はそうじゃない。そこはカン違いしていなかった」。3年生で引退すると目標がなくなった。部活動がなくなって初めてしたアルバイトが、東武東上線上福岡駅のスーパーにある喫茶店。皿洗いをしたり、パフェを作ったり。ここで働いているうちに調理師になることを考え始めた。
賞金ランキング32位で初シードを獲得したときに週刊パーゴルフで紹介した写真
賞金ランキング32位で初シードを獲得したときに週刊パーゴルフで紹介した写真 【拡大】
「思いの外、料理を覚えることができた。包丁の研ぎ方を覚えたときにはめちゃくちゃうれしかった」と振り返る。もともと自分の性格を考え、勤め人は無理だろうと思っていた。小さくても一国一城の主になろう。そんな青写真に、調理師という職業はピタリとはまった。

 ところが、これに異を唱えたのが父だった。「大学に行ったと思って4年間、ゴルフをやってみろ。それから調理師の勉強をしても遅くはないだろう。ゴルフは後からしても間に合わない」。息子はこの言葉にうなずいた。高校3年の1月ごろのことだった。強豪校で野球をするにはお金がかかる。サラリーマン家庭でそれをさせてもらったのが、すごく負担だったことは分かっていた。父が仕事でゴルフを取材しているときに、できれば自分自身がプロゴルファーに挑みたかったと思い描いたということも想像できた。だから、恩返しのつもりでうなずいた。

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