森功 芝と冠 企業人たちのトーナメント ダイヤモンドカップゴルフ「最強の財閥、スリーダイヤの矜持」(4)


社内コンペに160人が集まる三菱商事の企業文化が、大会存続を後押しした

“最強の財閥”三菱グループの看板を背負う「ダイヤモンドカップゴルフ」。日本ツアーで屈指の伝統を誇る大会だが、共に主催を担う関西テレビの『あるある大事典』データ捏造問題と、それに続くリーマンショックの大波により、大会の命脈を断たれるかに見えた。存続の方法を模索する関テレの飯森と羽牟は、“金曜会”の窓口を担う三菱商事の廣田に偶然出会うという僥倖に恵まれる。大会存続を懸けた会談は、築地の名店で幕を開けた。

会津と薩摩の呉越同舟で、会談は波乱の幕開けに

藤田寛之が勝った14年大会からは、注目度の高い秋開催に移動し、アジア太平洋地域のナンバー1を決める大会という権威もついた。しかし、この5年前に大会の歴史は終わっていたかもしれない
藤田寛之が勝った14年大会からは、注目度の高い秋開催に移動し、アジア太平洋地域のナンバー1を決める大会という権威もついた。しかし、この5年前に大会の歴史は終わっていたかもしれない 【拡大】
 横浜カントリークラブは、2020年東京五輪の開催をめぐってもめた霞ヶ関カンツリー倶楽部のバックアップコースでもある。09年4月、関西テレビ放送東京支社長の羽牟正(現・愛媛テレビ社長)と東京営業部長の飯森睦尚(現・関テレ常務)が西コーススタート地点の茶店で三菱商事総務部長の廣田康人(現常務)と偶然出会った。廣田は広報部時代にダイヤモンドカップを担当し、総務部長になってからは三菱金曜会の窓口も担っていた。この出会いからトーナメント存続の道が開けていく。

「それでは日を改めて、ゆっくり話をしましょう」

 三菱商事の廣田が、そう指定した会談場所が、東京・築地にある天ぷら屋「三ツ田」だった。元首相の小泉純一郎をはじめ、名だたる政治家や財界人が好んで密会に使ってきた名店として知られる。

 会談メンバーは4人。関テレ側の羽牟、飯森に、三菱商事の廣田、それに廣田の部下で、当時44歳の小林建司(52)が加わった。

「私は一番若いし、あのときは事情説明もなく、廣田から『うまい天ぷらを食わせてやるから』と誘われただけです」

 後にトーナメントの運営を担当する小林は、そう懐かしがった。廣田と同じく、広報部長を経験し、現在は総務部長の職にある。

 繰り返すまでもなく、4者会談のテーマはダイヤモンドカップを続けるかどうか、だ。もっとも、いきなりその話にはならない。硬い空気のまま、会食が始まった。飯森が記憶をたどる。

「今でも思い出すのは、小林さんのひと言です。『羽牟さんは鹿児島ですか?』と突然切り出し、『僕は先祖が薩摩の人にやられたんだ、と教育されて育ちました』というのです。小林さんは福島出身だそうで、『長州はもともと敵だったからいいけど、薩摩は途中で裏切った。羽牟さんはいい人だと思いますけど、薩摩は嫌いなんです』と手厳しい」

 酒が入っていたせいもあるのだろう。主たるテーマのトーナメントなどそっちのけ。若くストレートな小林に対し、羽牟は下を向いて苦り切っている。飯森の回顧談――。

「そうしているうち、二人の様子を傍(そば)で眺めていた廣田さんがこらえきれずに吹き出してしまったのです。つられて私もおかしくなって、笑い転げました。それで、いっぺんに雰囲気が和みましてね。廣田さんはゲラゲラ笑いながら日本酒をぐいぐい、鹿児島出身の羽牟は焼酎をどんどん頼んでね。あのひと言が接着剤となり、みんなが打ち解けていきました」

 4人は盛り上がり、話が弾んだ。

「実は、佐々木(幹夫・三菱商事会長、現相談役)もトーナメントのことを気にしていましてね。佐々木は、社内でもゴルフにはとりわけ理解がありますので……」

 三菱商事の廣田は関テレの羽牟や飯森に対し、胸をたたいた。

「金曜会をどう取りまとめるか、小林と一緒にやってみましょう」

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