あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.15 -水巻善典-

野球、テニス、バスケと球技に明け暮れた学生時代

 中学生までは年に1~2回、父と練習場に行く程度。理由は、他に熱中するものがあったからだ。野球少年だった小学生のときに、東京都足立区から埼玉県草加市に引っ越した。それでも母の希望もあって中学は越境して足立区立第九中学へ進んだ。自信があったので野球部に入ろうと思っていたが、いとこの言葉で考えを変えた。「野球部はやめておけ。タテ関係が厳しいから」。日大三高から日大へと進み、野球を続けていたいとこの言葉には現実味があった。

 性格的にも特に野球に固執せずフラフラしていたところ、担任の先生から顧問をしている軟式テニス部に誘われた。球技は得意でコツをつかむのがうまいのか、これもすぐに上達。女子が圧倒的に多い中、瞬く間に最もうまい3年生の女子を負かしてしまう腕前になり、区大会で優勝。都大会にも出場した。今思えば、この軟式テニス時代にフェースコントロールを覚えたことがゴルフに役立っている。

 高校進学を考えるころになってものんびりと構えていたところ、教室にあった法政二高の推薦入学募集の貼り紙を発見。「試験を受けなくていいのかぁ」と、軽い気持ちで応募。「とにかく要領がいい子供だった」(水巻)ため、あっさりと合格した。

 テニスを続ける気持ちだったが、テニス部OBには戦後初のトーナメントプレーヤーとなった神和住純さんがいるような強豪で、「毎日20時まで練習する」と聞いて断念した。草加の自宅から通学に片道2時間かかるからだ。そこで友達に誘われ入部したのがバスケットボール部。誤算だったのはここも県でベスト4という強豪で、やっぱり20時まで練習だった。水巻の学年は身長の低い選手が多く、とにかく走り回った3年間だった。ゴルフは、その合間に何度か父とラウンドを経験した程度だ。

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