あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.10 -加瀬秀樹-

小学5年で早くもプロゴルファーを目指す

中学3年時の初ラウンド。記念すべき第1打。ティグラウンドで写してもらえる記念写真を購入。「肩も回っていないし、ひどいスイングだなぁ(笑)」と加瀬
中学3年時の初ラウンド。記念すべき第1打。ティグラウンドで写してもらえる記念写真を購入。「肩も回っていないし、ひどいスイングだなぁ(笑)」と加瀬 【拡大】
 千葉県市川市で生まれ、幼少期に船橋市内の団地へと移り住んだ加瀬秀樹。そこで加瀬は、ごく一般的な家庭でスクスクと育った。小学生のときはサッカー、水泳、そして時代柄か地域柄かポートボール※に興じた。周りの遊び仲間と比べて運動神経はいいほうだと自信を深めたころ、加瀬少年に漠然とではあるが、それでも確固たる思いが芽生えた。「オレは絶対にスポーツ選手になるんだ!」と。

 地元の私立中学に入学すると、バスケットボール部に入って3年間汗を流した。特に際立った成績を残せたわけではないが、中学入学時160センチしかなかった身長は、卒業時180センチまで伸びた。ジャンプ力もあったので、ダンクシュートができるまでになったという。

 その一方で、ゴルフとの出合いもあった。初めてクラブを握ったのは中学2年時。加瀬の住む団地の前に、ちょうど1棟分くらいの芝生のスペースがあった。友達と遊んでいる中、そこに穴を掘ってゴルフごっこでもしようとなったのだ。ボールはプラスチック製の穴開きボール。そのうち、もっと飛ぶようにと、そのボールにセロハンテープを貼って楽しんだ。意外と面白いなと思った。

 それからは、たまに自転車に乗って練習場にも行くようになった。中学3年時には、伯父に連れられてコースデビューも飾った。「初ラウンドはどちらかのハーフを49で回ったのを覚えていますよ。その後、中学を卒業するまでに3~4回コースに連れていってもらったと記憶しているけど、100は切れなかったなぁ」

 ただゴルフは、あくまでもバスケットボールの練習がないときの遊びにすぎなかった。高校でもバスケットボールを続けようと選んだのは都内・両国駅近くにある安田学園。当時、バスケットボールの名門校として知られ、全国大会の常連だった。同級生には中学時代のバスケットボールの活躍が認められて推薦入学してきた者もいる。そんなエリートたちの中でもまれて、自分の腕前を上げたいと思っていた。それなりに自信もあった。

 ところが、高校入学を目前に控えた春休み。健康診断のつもりで行った病院の医師から衝撃の宣告がされた。「腎臓の機能が芳しくない。尿からタンパクが出ている。バスケットはやめたほうがいい」。目の前が真っ白になった。

 今となって考えると、成長時期だったということがタンパクの数値を上げたのかもしれない。バスケットもやろうと思えば、できたのかもしれない。ただ、家系的にも腎臓に問題を抱えやすい血筋であることは知っていた。それだけに医師の診断を素直に受け入れざるを得なかった。

※ポートボール=バスケットボールのゴールの代わりに、台の上に立ったチームメートがボールをキャッチして得点を競うゲーム

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