あの頃ボクは若かった 昭和の履歴書 vol.4 -小山武明(タケ小山)-

イタズラ心で打った一球がプロへの道を決心させた

 大学に入ると、ゴルフ部を探した。するとここでも“非常識”にぶつかることになる。部の説明会で聞いたのは「試合のある7~8月は50万円近くかかります」という言葉。そのまま父に伝えると「バカか、お前らは」と一喝された。結局、ゴルフ部ではなく、ゴルフ同好会に入った。

 この頃の2つの出会いが、やがて渡米して経験を積み、現在は解説者としても活躍する現在のタケ小山をつくることになる。ひとつは、ゴルフ同好会の2つ先輩に大手ゴルフ場運営会社だったスポーツ振興の御曹司、木下剛氏がいたこと。卒業後、グローバルに展開していた父の会社の仕事をしていた同氏を頼って渡米することのなったのは大きな縁だろう。

 もうひとつは、近所にできた練習場のアルバイトに応募すると、そこには金井清一のプロショップがあったことだ。スタッフとして常駐していた弟子たちとともに小山も、週に1回やって来る金井に指導してもらえるようになった。
 そんなある日、練習場に張ってあるネットを越してやろうとしたイタズラが、小山にプロを目指させることになる。こっそりコースボールを使ってティアップを高くして打った小山。そのボールがネットを越えていくのを見た金井が「その飛距離ならプロになれるぞ」といったのだ。大学2年の春のことだ。学生ゴルフ、アマチュアゴルフの世界に疑問を抱いていた小山は、その気になった。

 両親に内緒で関東ゴルフ練習場連盟のプロ入会テストを受けたのは、その年の12月のことだった。78で回れば合格という基準を、64人中ただ一人クリアした。気が付けばアマチュアではなくなり、アシスタントプロになっていた。先輩の木下に「同好会をやめます」というと「バカか!?」といわれたが、同時に「辞めなくてもいいよ」といってくれた。父は「バカじゃないの」と口にしたが、大学卒業を条件に好きなように人生を生きることを許してくれた。

 大学卒業には5年かかったが、それでも約束は守り、研修生として暮らしているうちに先述のハワイのマンデートーナメント事件が勃発した。

 木下を頼って米国フロリダのグレンリーフリゾートに行ったのは89年。ミニツアーを転戦したり、PGAツアーにマンデートーナメントに挑んだりしながら、しばらく米国でゴルフ漬けの生活を送った。

 やがて日本に帰国し、現在に至るが、そのグローバルなものの見方や、固定観念に縛られない姿勢こそや、ゴルフ界のおかしな“非常識”を「バカか!?」と一括してくれた父の生き方に追うところが大きいだろう。
1983年
プロを目指すことを決意した
●ハワイアンオープンで青木功が日本人初の米男子ツアー優勝
●ディズニーランドが千葉県浦安市に開園
●「アクエリアス」「カロリーメイト」発売開始
●NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放送が始まる
●徳島県の池田高校が甲子園で夏春連覇の快挙
●ローマ法王が、地動説のガリレオへの宗教裁判の誤りを認める
●参議院選挙の全国区で比例代表制を導入
●任天堂が「ファミリーコンピューター(ファミコン)」を発売
●大韓航空機撃墜事件が発生。乗員・乗客269人が死亡
●映画「南極物語」が大ブームを起こす

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