中部銀次郎との思い出 ~その4~

日本のアマチュアゴルファーといえばこの人
夫人、チームメイト、友人らが語る
中部銀次郎との思い出



日本最強のアマチュアゴルファー、中部銀次郎。日本アマ優勝6回という記録は、今も破られていない金字塔だ。2001年にこの世を去ったが、今なお語られる中部の生前を知る人たちに、思い出に残る中部とのエピソードを語ってもらった。
取材/文・宮井善一、泉武 写真・富士渓和春※中部銀次郎は敬称略

中部銀次郎との思い出/その4 ~友人 井木俊次さん~
「彼の教えはゴルフだけでなく、仕事などさまざまな場面でも生きている」


毎日クラブに触れておかなきゃ駄目
 私が東京ゴルフ倶楽部に入会させていただいたのが、30数年前のことでした。同GCメンバーでナショナルチーム強化委員長などを歴任された鍋島直要さんに目をかけていただき、何とか私の腕を上げさせようとあちこちのプロの元に行かせてくださったのですが、なかなかうまくならない。しびれを切らして、「おい銀べえ、井木に教えてやってくれ」と頼まれたのが、私と銀ちゃんの出会いです。

 銀ちゃんのレッスンは芝ゴルフ場で毎週水曜日の18時から。私を教えるに当たり「レッスンは週1回だけど、毎日クラブに触れておかなきゃ駄目。それから、できる限りゴルフ談議をしよう。そして、できる限り数多く一緒にゴルフをやろう」といってくれたことが心に残っています。

 ある日、いつもどおり芝の練習場に行くと人だかりができている。見れば、湯原信光選手と金子柱憲選手が打ち、銀ちゃんが教えていたのです。私に気づいた銀ちゃんは、「そこで打って」と湯原選手と金子選手の間の打席を示したのです。

 すごい選手に挟まれ、何人ものギャラリーがいる中で一介のアマチュアが打つのはさすがに気が引けたので「勘弁してよ」と断りました。練習の後、酒席に場を移すと銀ちゃんは、「ああいうところで平常心で打てるようにならなきゃうまくならない」という。彼なりのレッスンだったのです。

 クラブ選手権の決勝進出者を決めるプレーオフで、距離の残った2打目を4番ウッドで攻めて成功したことがありました。しかし、銀ちゃんが翌朝電話をかけてきて、「あそこは5番アイアンだ。リスクを背負わなきゃいけない場面ではない」と諭されたこともありました。

 これらは中部ゴルフの哲学だと思っています。私は彼の哲学のほんの一部ではありますが直接触れることができて幸せでした。彼の教えはゴルフだけでなく、仕事などさまざまな場面でも生きています。いわれたときは理解できなかったものが今になって、「そうか銀ちゃんはそういうことをいいたかったのか」と気づいたこともあります。本当に素晴らしい友人でした。


事務所には、井木さんが宝物という中部の絵が飾ってあった






友人
井木俊次さん (いき・しゅんじ)
1939年生まれ。
エイ・エス・アイインターナショナル株式会社代表取締役。
88年に脱サラして起業。
ゴルフカート『EZGO』日本総代理店など、さまざまな業務を行っている。



Weekly Pargolf 2013年7月23号掲載

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