取材の現場から

「ゴルフに恩返ししたい」似顔絵画家リサオが誕生した日

令和元年、7月最後の夜。池上線が頭上を走るミニカフェで、リサオはこの日の34人目、イベント通算288人目となる似顔絵を描き上げようとしていた。イベントが始まったのは3週前の月曜日。7月8日のことだった。一大フィーバーの日々を経て、そのドラマはようやく大団円を迎えた。
(日本ゴルフジャーナリスト協会会長代行・小川朗)
 最後のモデルとなったお客様のスマホに似顔絵作品をアップロード。納品が完了すると、居合わせた人々とハイタッチして、事実上のゴールテープを切った。続けること、やり遂げることのすばらしさを、そこにいた誰もが実感していた。
梅雨明け直後のこの日、大崎広小路(東京・品川区)にも例外なく、真夏の日差しが降り注いでいた。12時半すぎ、リサオこと大隈里砂は、この日も五反田の「mini cafe hilo」の指定席に座った。
 リサオはすでにゴルフ業界ではかなりの有名人。歯に衣着せぬ言動そのままの直球コラムも数年前から注目されていたし、写真家としての腕も相当なもの。その上イラストレーター、翻訳家としてのスキルも高い。
 しかし本人は「ひとりスキマ産業ですよ」とどこか控えめだった。そのリサオに振られた今回のミッション。それは、このカフェのオーナー・長谷川ひろみさんの発案だった「リサオの個展をやれ」と夢の中でお告げがあったという。「誰なのかは分かりません。朝4時くらいに、そう言われたんです」(ひろみさん)。
実は数年前から、長谷川夫妻はリサオの才能に注目し、草間彌生のようになってほしいとの思いから「草間彌生化計画」を練っていた。そこで今回、お告げもあり個展を提案。写真展だと思っていたが、常連客の個展経験者に「唯一無二の個性」と強く勧められたのがイラストだった。
本人は最初その提案に戸惑ったものの、元来流れに身を任すタイプなのですぐに腹を括った。「みんなに会いたいからずっと在廊してようと思って。本人がいるならただ座ってないで何かすべきだな、じゃあ似顔絵でもなんでも依頼された絵をその場で描こうかな」(リサオ)と。その結果「リサオの世界」展と「無茶振りお絵描きライブ」と銘打たれたイベントが決まった。
当事者たちは、ふたを開けるまで、のんびりと構えていた。リサオはSNS上のコメントでこんなことをつぶやいている。「イラストの個展なので、イメージでは作品を見てもらったり、グッズを買っていただいたり、お喋りしたり、なんとなく1日が静かに過ぎていくんだろうなと思ってたわけです。似顔絵は、まあ数名の酔狂な友達が描くかなあという感じで」。
しかし、予想はうれしい悲鳴とともに大きく外れていく。お絵描きライブがスタートすると、お客の注文は似顔絵に集中した。初日から、当初の予想である2〜3人をはるかに上回る10人の似顔絵を描いた。
翌日からも右肩上がり。個展に来た友人、知人たちの誰もが似顔絵を願い出た。その似顔絵がリサオのSNSにアップされると、フォロワーたちの目は作品に釘付けとなった。我も我もと、大崎広小路を目指した。
「なにしろキャプション付きの似顔絵なんて見たことないでしょ。それがまた秀逸で喜ばれるんですよ」(ひろみさんの御主人・陽さん)。
リサオの持つ感性と、色使い、テイスト、インパクト十分のそのコメント。すべてが斬新な魅力に満ち溢れていた。それからは店内が鮨詰め状態になることが当たり前となった。
「席に着いた瞬間から休みなく描き続けて、チョー頑張って5時間で最大24名」(リサオ)という状態が連日続いた。「16日間で来場者は約370人。時間切れで似顔絵を諦めて帰られたお客様には本当に申し訳なくて」(ひろみさん)。
モデルと対峙し、イメージを湧き立たせ、見つめ合い、描く。「名作」も続々と生まれた。「マーク金井氏が人間の殻を脱ぎ捨てるところを、地球人に発見される」設定は、その画力と相まって広く業界人の心をとらえた。
 多くの業界人、著名人も続々と訪れた。最初は気を遣っていたが、この作品で自信をつけたリサオは、ことごとく大物たちの特徴をとらえた珠玉の作品を生み出していった。
 リサオはここで、無上の楽しみ方を見つけた。完成まで、モデルには絶対に作品の進行状況は見せない。それでいて、リサオ自身は製作途上の苦しみ、悩みをさらけ出す。
 するとモデルはどうなるか。リサオの表情の変化に逐一反応する。時に動揺し、つられるように不安な表情を浮かべ、薄ら笑いまでもが伝染する。平均して12〜13分。数10センチの距離で見つめ合い、モデルと画家という立場で生み出される魂のキャッチボールに、リサオ自身が魅了されていった。
モデルの個性が見事に引き出され、それに絶妙なワンコメントのスパイスが加わる新しいスタイル。「リサオの世界」は大崎広小路で確立された。しみじみと、陽さんがいう。「もう大丈夫。リサオはこれで食ってくでしょう」。
ここで、リサオの人生について少し触れておこう。大隈里砂。その苗字を聞いて、ピンとくる人もいるかもしれない。実はリサオ、早稲田大学の創設者、大隈重信の玄孫(やしゃご)なのだ。
生まれはエルサルバドル。「最初に聞いた言葉はスペイン語」で、自身もラテン民族からの影響を強く感じている。内戦前にここで生を受けたが、後の人生は決して平たんではなかった。父母の結婚生活はすぐに破綻し、双方とも再婚離婚を繰り返したため、幼い頃から母方の祖父母に育てられる。
祖父は大隈重信の孫にあたり、貴族院議員や外交官を務めた。だが「家が近所だった」という理由で祖母に受験させられた小学校から大学の法学部まで、慶應一色の半生を送ることとなった。
生い立ち自体がイジメの原因となった。「早稲田のスパイはあっち行け」などとなじられるのは日常茶飯事。内向型の文学少女となる一方、べらんめえ口調も身に付いた。「人格や態度に関係なく、苗字のせいで苦労知らずのお嬢さん扱い。それがいやで言葉遣いが悪くなったのかな」とも振り返る。
大学卒業後、アメリカで3年間「名前バレしない開放感」を享受。帰国後は建築・デザイン関係、ファッション関係、PR関係などの会社勤めを経験したが、30代半ばに試練が次々にやって来る。アルツハイマー型認知症の祖母と難病の夫。仕事と介護に追われた。
 その2人と最愛の祖父が、短期間に相次いで亡くなってしまった。あまりの喪失感から「何のために生きているのか分からない」日々が続く。そのショックから立ち直るキッカケとなったのがゴルフだった。
それまで食わず嫌いだったゴルフ。しかし親しい友人と遊ぶためにしぶしぶ練習場に行ったとき、振ったあと反対を向くほどの豪快な空振りに友人が叫んだ「そんだけ振れるならいける!」という言葉を真に受けた。「汗が目に入るとしみる」ことに感動し、「限界まで動いたあと晩ご飯食べながら寝た」ことを誇りに思った。「それまで全部テキトーで何かをやり切るってことがなかった」人生がゴルフで一変した。「人生で初めて『ああ、生きてる』って実感が湧いた。思い通りにならずムカついて、上手く出来たらニヤニヤして、いつもお腹が空いてて、毎晩倒れるように眠りに落ちる。そんな生活になったら、何のために生きているのだろうとか考えても無駄だなってわかった。ゴルフに救われたんです。だから、ゴルフに恩返ししたいっていう気持ちは常にあった」。
「飲みの誘いは断ってもゴルフの誘いは断らない」を信条に走り続けたら、自然と友達が増え、いつの間にかゴルフ業界の関係者たちとも繋がっていた。請われるままに仕事をして、気がついたらゴルフ業界のひとになっていた。
ゴルフへの恩返しの方法は、これから無限に広がっている。お絵描きライブは今後、多くのゴルフ関連イベントにもマッチングが可能だ。
2019年7月31日。「似顔絵画家・リサオ誕生」の記念日だ。大崎広小路から、一歩前に踏み出すだけだ。全国の人々が、リサオの来るのを待っている。
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