取材の現場から

箱根・富士屋ホテルに残されたパターは昭和天皇が使っていたのか?

平成時代もあと4カ月。今上天皇は美智子妃殿下との出会いのきっかけであったテニスが得意だったようだが、昭和天皇は戦前、ゴルフがお好きだったのは有名な話。皇太子だった大正時代、大正天皇の摂政として公務に励まれていた際には東京GCで英国皇太子と9ホールのマッチプレーをされ、同コースに摂政杯を賜られている(同俱楽部では今も毎年、摂政杯という競技を開催)。また、皇居や新宿御苑などに数ホールのコースを造り、兄弟で楽しまれたという。

そんな昭和天皇が英国皇太子とのマッチの数年前から足しげく通ったのが、神奈川県箱根町にある仙石ゴルフコースだった。初めてラウンドしたのは同コースが7ホールで開場した1917(大正6)年のこと。以後、宮ノ下御用邸(現、富士屋ホテル別館「菊華荘」)に避暑に来ると、毎週のようにプレーされていたことが侍従の記録に残されている。

その御用邸の隣に当時からあったのが、当時から外国人利用者も多いリゾートホテルとして有名だった富士屋ホテル。実は、ここに謎のパターが1本残されている。ヘッドの形状は、今でいえばユーティリティに近いが、ロフトはたしかにパターだ。ソールには「Fijiya Hotel」と筆記体で彫られ、文字の周辺にはプラスのネジが6個装着されている。

富士屋ホテルの元副社長・秋山剛康氏からこれを見せられたエッセイストの故・夏坂健氏が調べたところ、優れた作りのグリップは日本製とは考えにくく、とても古いスチール製のシャフトも外国製(編注・節があることからダイナミックゴールドか?)との結果。戦前、ホテルが特別に作らせた可能性が高いということになった。特に、プラスのネジは戦前の日本には存在せず、初めてその存在を日本が知ったのは41(昭和16)年に米軍機が墜落し、日本軍がその機体を調べたときだったというから、よりその確証が高いといえよう。

では、誰が何のためにホテル名入りのクラブを作ったのか。最も考えられるのが、ゴルフに夢中だった皇太子への献上品という説だ。ホテルに宿泊する外国人用ならばクラブを買えば済む話。わざわざホテル名入りのクラブを外国に依頼してまで作らせる道理がない。夏坂氏も、皇太子が使われていたのではないかと結論づけたという。

ホテルにもまったく記録が残っておらず、真実は闇の中。だが、そんな仮説が立てられるクラブがあること自体、夢があって素晴らしいことだ。

残念ながら一般公開はされていないが、パターは今も富士屋ホテルで大切に保存されている。