ベーブ・ルースもプレーをした幻のコース・藤沢CCは今年開場90周年を迎えるはずだった

藤澤カントリー倶楽部のクラブハウス、通称「グリーンハウス」。現存しており、ゴルフ場があったことを唯一物語るものだ。(写真提供・藤沢市文書館)
藤澤カントリー倶楽部のクラブハウス、通称「グリーンハウス」。現存しており、ゴルフ場があったことを唯一物語るものだ。(写真提供・藤沢市文書館) 【拡大】
ここ数年、開場50周年、60周年を迎えるゴルフ場が多い。つまり高度経済成長期にオープンしたコースたちだ。それよりも歴史を重ねているコースとなると、その数は非常に少なくなる。理由のひとつには重機が普及しておらず造成がままならなかったこと、そして戦中に軍に接収されたり農耕地に転用されて、廃止となったコースがあったことだ。

今はなきゴルフ場の中でも、関東に初めてゴルフを伝えたニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション(神奈川県横浜市)などは「根岸」という地名で呼ばれつつ歴史に名を残しているといえるだろう。だが、すっかりと忘れ去られているゴルフ場もある。その一つが、神奈川県藤沢市善行にあった「藤澤カントリー倶楽部」だ。

昭和初期の不況対策の一環が設立の理由だったことからは、さも急ごしらえのゴルフ場を想像しがちだが、まったく逆だったといえる。赤星四郎らをコース建設委員とし、当時たまたま東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの設計のために来日していた著名なゴルフコース設計者チャールズ・ヒュー・アリソンにも意見を求めコースを建設した。クラブハウスは、これもまた高名な建築家アントニン・レーモンド設計で、屋根瓦が緑色だったことから「グリーンハウス」と呼ばれた。レーモンドは帝国ホテルの設計施工助手として来日を果たしているが、クラブハウスにもその才能を発揮しており、彼が設計した富士カントリークラブ、門司ゴルフ倶楽部、東京ゴルフ倶楽部のクラブハウスはいずれも50年以上の歴史を重ね、国の登録有形文化財に指定されている。

当時の最高の知識人の力を借りて完成をみた藤澤カントリー倶楽部は1931(昭和6)年秋に9ホールで仮オープン。つまり今年、90年を迎えるのだ。翌年春には18ホールでグランドオープン。関東8大ゴルフ倶楽部に挙げられる名門コースだった。その証しのように、34(昭和9年)11月には、日米野球で来日していたベーブ・ルースが赤星四郎とともにプレー。その4年後には日本オープンゴルフ選手権も開催された。

そんな名コースも、仮オープンから12年後の1943(昭和18)年に藤沢海軍航空隊に徴用され、クラブハウスは司令部となり、短い歴史に幕を下ろした。戦後は米軍が接収し、一時期クラブハウスは引き揚者住宅となったというが、53(昭和28年)に神奈川県に移管された。コースはまったく当時の姿を残していないが、クラブハウスの「グリーンハウス」は現在も神奈川県立体育センターの合宿所として姿を留めている。




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