新ルールでより重視される誠実性が戦前のゴルフ場誕生のキーワードだった

1941(昭和16)年に朝香宮殿下が門司GCに来場されたときの1枚。後ろが旧クラブハウス
1941(昭和16)年に朝香宮殿下が門司GCに来場されたときの1枚。後ろが旧クラブハウス 【拡大】
ゴルフの大きな特長は審判がいないこと。すべては自らの誠実性によりルールに則ってプレーすることだ。今年のルール改定により同伴競技者の立ち合いが必要な事柄が少なくなり、よりプレーヤーの誠実性に依るようになった。

実はこの誠実性が、日本のゴルフ黎明期のコース設立に大きく寄与していることは意外と知られていない。戦前、まだスポーツの多くが武道であった時代に、「自らが自らのプレーをルールに基づいて律する」というゴルフの精神が、武道にも通じることとして評価されたのだ。

例えば、来年の東京オリンピックのゴルフ競技会場である霞ヶ関カンツリー俱楽部。地元の大地主にして篤志家の發智庄平の持つ雑木林に1929年に設立されたものだが、ゴルフ場建設を提案されたもののゴルフを知らなかった發智が自ら調査し、「スコットランドで生まれた紳士のスポーツが武士道にも通じ、スポーツ精神最高のものである」と、コース設立を決意したことに始まる。もし、發智がゴルフを評価していていなければゴルフ競技会場は別のコースになっていたはずだ(現在、週刊パーゴルフ連載「ゴルフ場を造った男たち」で掲載中)。

日本ゴルフ協会初代チェアマンの南郷三郎が中心となって1920年に設立された舞子カンツリー俱楽部(現・垂水ゴルフ倶楽部)も、叔父が講道館館長で南郷自身も塾生となって柔道を学んだことが影響している。ケガのリハビリとして41歳で始めたゴルフだったが、そのフェアプレーやエチケットの精神が南郷のスポーツマン精神にマッチ。ゴルフにハマって毎日のようにプレーしていたゴルフ場の閉鎖を聞いた南郷が、自らゴルフ場建設を目論んで実現させたのが舞子カンツリーだ。

さらに海賊と呼ばれた男、出光佐三出光興産創業者の逸話は特に面白い。出光は50歳になるまで、有名なゴルフ嫌いで通っていた。ウィークデーにプレーするのは有閑階級の遊びごとで亡国的遊戯であると公言し、長男で出光昭介出光興産名誉会長によれば、「父は当初、『ゴルフをやる奴にロクな奴はおらん』などといっていました」という。当時、出光は門司市の商工会議所会頭になったばかり。お蔭で、計画されていた門司ゴルフ俱楽部設立計画は暗礁に乗り上げてしまったのだ。ところが出光がいやいやながらも一度ゴルフをやってみたところ、言動が180度大転換。「ゴルフは自分で審判した結果(編注・スコアを自分でつける)を他人に認めてもらう良心的競技である。そして健全な社会保健スポーツで紳士的ある」というようになったのだ。そうして門司ゴルフ俱楽部は1934年にめでたく開場を迎えた。

もし、ゴルフが審判を必要とするスポーツだったとしたら、その発展は戦後になっていたかもしれない。

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