連載「ゴルフ場を造った男たち」には戦前のゴルフ場同士の関係の奥深さが見られる!

日本最初のゴルフ場、神戸ゴルフ俱楽部。このコースで育ったゴルファーが造ったコースも数多い
日本最初のゴルフ場、神戸ゴルフ俱楽部。このコースで育ったゴルファーが造ったコースも数多い 【拡大】
 週刊パーゴルフで連載している「ゴルフ場を造った男たち ~意志あるところに旗は立つ!」は、日本のゴルフ界創世記にゴルフ場を造った日本人ゴルファーたちが、ノウハウのない中でいかにして建設を成し遂げたかについて紐解いている。そこで興味深いのは、当時のゴルフ場はどれも、それまでに作られたコースと密接に関係していることだ。
例えば今週発売の10月16日号では神奈川県の程ヶ谷カントリー俱楽部の最終回を掲載しているが、元を正せば都内・駒沢にあった東京ゴルフ俱楽部が移転先として探し出した場所に造られたコース。現在、東京GCは埼玉県狭山市にあるが、程ヶ谷CCは兄弟コースともいえる。その東京GCも、それ以前は外国人の造ったコースしかなく、「日本人による日本人のためのコースを作ろう」という思いから造られている。
関西のコースも同様だ。日本初のゴルフ場である神戸ゴルフ俱楽部は山の上にあるため冬季クローズとなる。そこで、冬もプレーできるコースとして神戸に造られたのが横屋ゴルフ・アソシエーション(以下、横屋GA)。このコースは閉鎖されたが、鳴尾ゴルフ俱楽部の前身といわれている。
また、神戸は当時から港町と繁栄し、多くの欧米人が在留。それが神戸GCなどの建設につながっていた。横浜もしかりで、ニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーションというコースが存在していた。すると、各地の外国貨客船が寄港する港町では「ゴルフ場を造ってこそ一流港」という思いが生まれ、それが門司ゴルフ俱楽部、雲仙ゴルフ場の誕生につながった。
連載「ゴルフ場を造った男たち」は次号(10月23日号)より垂水ゴルフ俱楽部の誕生について取り上げる予定。前身は舞子カンツリー俱楽部だが、実は世界的な名コースとして知られる廣野ゴルフ俱楽部は舞子CCがその誕生に大きな関わり合いを持っている。
現在2000コース以上がある日本だが、戦前は数えるほどしかなく、ゴルフをプレーしたいという情熱は、今とは比べるべくもなかったと想像できる。だからこそのゴルフ場建設だったのだ。

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